酒徒行状記

民俗学と酒など

楊州飯店食単(1)前文&冷盆

 ここのところ中華料理ばかり食っている。

 一昨昨日は台湾料理屋で鶏葱麺、一昨日は四川料理で先輩と宴会だったし、昨日は炸鶏排定食、今日は刀削炒麺であった。

 もともと中華料理好きなのに加えて、コロナで家で逼塞していた反動、職場の近くに大変うまい台湾料理屋が新しくできた、私と同じく中華好きな先輩が東京に単身赴任してきたことなどいくつか理由はあるが、ここのところ常軌を逸するがごとく中華料理愛が深まっている。

 自分が中華料理にはまったのは、大学生のころ、南條竹則氏の『酒仙』を読んだためであった。『酒仙』は酒のみの救世主として生まれ変わった主人公が、日々うまいものと銘酒で酩酊しつつ、世に仇なす魔酒の輩と詩合戦を行うというファンタジー小説であるが、この中に、実在する店がいくつも出てくるのである。

 その中の一つ、作者南條竹則氏も愛した店の一つが小岩の楊州飯店であった。

「帝都の東端、江戸川のむこうに千葉県が見える――恋ははかない小岩の町は、そんな辺境にありながら、無人化する都心よりもかえって下町の気風を受けつぎ、今日も酒客でにぎわっている。
 国電の駅からは少し離れた柴又街道沿いに、柿の木の蔭にうずくまっている平家立ての建物があった。表に「腸詰・ビーフン・肉粽」の看板が立っている。そこは、知る人ぞ知る台湾料理の老舗楊州飯店だった。
 店の中には、四人掛けの四角いテーブルが二つと、さほど大きくない円卓が一つ。あとは調理場の前のカウンター席が三つきり。主人の楊氏とおかみ さんの二人で経営している、何の飾りもない店だ。壁には、楊氏が若い頃描いたというピカソ式の油絵が数枚かかっているほかに、十年前の雑誌に載っ た腸詰の紹介記事、プロ野球呂明賜の色紙、『糖尿人間と酒男』なるあやしげな映画のポスターがはってある。」

(中略) 

 感嘆していると腸詰が来た。きざみ葱が添えてある。
 中華の腸詰もこれまた種類が多く、土地土地によって風味は千変万化である。日本でよく見かけるのはサラミ状に固く乾燥させたものだが、楊州飯店 の腸詰はそうではなくて、やわらかいソーセージだった。噛むと肉汁が口の中にじわっとひろがり、五香粉の芳香が鼻にぬけた。
「こちらも絶品ですな」とどぶ六。「腸詰といえば台南の黒橋碑という店が有名だが、この腸詰は黒橋碑より美味いんじゃないかな。おや、花枝丸も出てきましたよ」
 楊氏自慢の花枝丸は、烏賊のすり身に背油と特製のスープを混ぜて揚げたもので、中の方はトロトロにやわらかい。どぶ六がかぶりつく と、プチュッと肉汁が左近の顔にはねた。まるで小籠湯包を食べるようだ。身の中でサクリと歯にあたったのは、慈姑だっ た。
 どぶ六は感動して涙を流さんばかりだった。
「ああ、旦那。わたしもこれくらいのつまみを作れたらなあ。ひとつ、この作り方を教えてくれないかしら。でも、どうせ肝心なところは秘伝なんだろうなあ……」
 客人たちが素直に感動しているので、腕自慢の楊氏は気を良くしてやって来た」(南條竹則『酒仙』新潮文庫)

   私はこの文を読んで、是非にこの店に行きたくなり、当時住んでいた中野からはるばる小岩に通い、ここで中華料理の真味に目覚め、以降、中華料理にはまる羽目になったのであった。

 店の主は楊丁墾氏。揚州と自分の名前を掛詞にして楊州飯店と名付けている。

 料理は台湾料理がメインだが、創作の中華料理もお手の物であった。私が通い始めたのが2002年ごろ。そのころにはすでに半世紀近く続く店であった。

 残念なことにこの店は2010年11月、一緒に店を切り盛りしていた女性(奥様?)が体調を崩したため、閉めてしまったが、私はこの店で、真味とは何か、宴会とはなにか、様々なことを学ばせていただいた(この店に惚れ込みすぎて、中野から小岩に引っ越そうか結構悩んだこともあったくらいであった。)

 この店には、メニューや中華料理のうんちく、あるいは店を紹介した記事などをまとめた小冊子があった。店に通った常連客の手元には二冊か三冊はこの小冊子があると思う。

 この小冊子、中華料理に関する資料としても貴重なものだと思うが、ネットなどで公開をしているのはついぞ見かけない。

 今回、その小冊子が書庫から出てきたので、何回か連載形式で、ここにその画像と解説を掲載し今は亡き名店を記念する紙碑としたい。

 

 揚州飯店食単 1枚目(上)前文&冷盆

 

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楊州飯店1枚目上

 まずは一枚目(上)。

 「常日頃、山珍海味にあきたグルメがメニューにない特別料理、オトクな日替わり定食にことのほか満足するとか。」という冒頭の文はまさしく店の味を示すコピーである。「とか」という伝聞系でしめているのがかわいい。

 注目すべきは「怪味」という記述である。怪味(guàiwèi)は奇味に合わせた言葉遊びではなく「中国・四川省発祥の調味料。醤油、砂糖、芝麻醤、酢、豆板醤、ニンニク、ショウガなどを混合して作られる。中国語で「複雑な味」を意味する「怪味」の名の通り、塩味、酸味、甘味、辛味が混ざり合った複雑で濃厚な味わいを特徴とし、特に鶏肉との相性がよいとされる」

怪味ソース(かいみそーす)とは - コトバンク

というものである。

 2015年ごろ、中華料理マニアの間では話題になり、いくつかの中華食材メーカがソースなどを販売しているが、まだ日本人に定着したとはいえない。この店では半世紀前から東京で怪味の料理が食えたことを示す記述となっている。*1

 さて、冷盆であるが、ここには楊州飯店の名物料理が綺羅星のごとく並んでいる

 カラスミは台湾の名物であるが、楊さんも料理にはふんだんにカラスミを使っていた。単価1000円となっているが、この店のカラスミは量が他の店の4人前くらいはあったので格安で、味も絶品だった。

 この楊州でカラスミの味を覚えたせいで、私は、他の店でちょびっと皿に盛られたカラスミ大根おろし(700円)なんかをつまむと、「なんでこんなに高いかなあ」と嘆息するようになってしまった。

 台湾では、カラスミは食べすぎると精が付きすぎて、夢精するという話があるそうである。カラスミを出すたびにニヤニヤしながら「食べすぎ、気を付けてね」と出すのが、あまり冗談を言わない楊さんの得意ギャグの一つであった。

  • 蚋仔(蜆の醤油漬け)

 台湾料理の名物である。少し小ぶりな蜆であったが、ニンニクの利いたたまらぬ味の前菜であった。

  • 香腸(豚の腸詰)

 上述の南條先生の小説でも出てくるが、楊さんのスペシャリテの一つであった。

 自家製のものであり、柔らかく、隠し味の蜂蜜の甘みと五香粉の香りが高い独特の物であった。この店亡き後、このような腸詰を食べたことがなく、腸詰を食うたびに旨さと共に、「楊州の味とは少し違うなあ」一抹の悲哀を毎度味わっている。

 今回このBlogを記載するにあたって調べたところ、飯田橋の「膳楽坊」という店が楊州の腸詰を再現しているとの情報を得た。「例えば腸詰は、惜しまれつつ閉店したという小岩「楊州飯店」のレシピを徹底的に研究して再現しているのだとか。」とのこと。

中国菜 膳楽房 - 神楽坂ごはん

この膳楽坊のシェフは南條先生の作品に出てくる龍口酒家で修行された方とのこと。大変に期待が持てる。一度確認せねばと思っている。

  • 辣白菜

 お通しでこれもよく出た料理であった。一般的な泡菜よりも甘みの強のが台湾風だったのかしらん。

(以上、前菜部終わり。魚貝、鶏肉、肉・牛肉の部に続く。)

*1:同種の怪味を看板に出す老舗店として東中野の大盛軒がある。

東中野のソウルフード!『大盛軒』の「ビッグ鉄板麺」とは? – 食楽web

もしかしたら一時代前の中華には怪味の心得のある料理人が多かったのかもしれない