ミリオン・ダラーという古いカクテルがある。
ジンとスイートベルモットをベースに、パイナップル、グレナデン、そして卵白でまとめるショートカクテルである。
飲んだことはなくても、「ミリオン・ダラー」(百万ドル)という豪儀な名前が気になった人もあるのではないかと思う。
このカクテルは大正から昭和前期、大変流行し、大正15(1926)年、菊池寛が1926年に「酒ならばコクテール(カクテル)、コクテールならばミリオンダラー・コクテール、雑誌ならばわが文藝春秋」と広告文を作ったことからも、その人気が伺える。
さて、このミリオン・ダラー、カクテルブックなどではその創案者を、横浜グランドホテル、ルイス・エッピンガーとすることが多い。
たとえば、サントリーのカクテルレシピのサイトでは
「バンブー」を生んだ横浜グランドホテル、ルイス・エッピンガーが1894年に創作。こちらも豪華客船によって世界に広まっていったが、大正期に街場にバーが登場しはじめると、日本でも大人気となったカクテル。当時使われていたジンは、加糖されたオールド・トム・ジンであった。
(ミリオン・ダラー サントリーカクテルレシピ検索)
私も、この説を信じていて、以前、書いた大正時代のカクテル文化に関する論文「明治から昭和前期のカクテルブックに見るカクテル文化の成立 : 前田米吉の『コクテール』を中心に」(東京都市大学共通教育部紀要8号)
https://www.tcu.ac.jp/tcucms/wp-content/uploads/2016/11/vol8_16.pdf
でも、
日本におけるパー・カクテル文化に影響を与えたのは、むしろ 1870 (明治3)年に当時横浜に作られた<グランド・ホテル>であったと考えられる。グランド・ホテルは、 1890(明治23)年、サンフランシスコから英国人バーテンダー、ルイス・エツピンガーを総支配人として招いた。エッピンガーは、このグランド・ホテルでバンブー、ミリオンダラーなど現在でもよく飲まれているカクテルを創作することとなった。
(上述論文 p.p179-180)
というように紹介していた。
ところが、先日、日本バーテンダー協会が出版していた業界紙『ザ・ドリンクス』を見ていたところ、まったく違う話が出ていた。
1955年の『ザ・ドリンクス』では「私のコクテール」と題して、当時有名だったバーテンダーを呼んで、スタンダードカクテルについてどういうレシピがよいか、各号、バーテンダーにインタビューアーが聞く記事となっている。
その中で1957年4月号(通巻28号)では、浜田晶吾のインタビューを載せている。*1
ミリオン・ダラーの創案者
大森 いつか佐藤紅霞氏のブック*2に、ミリオン・ダラーは佐藤氏が創案されたというふうに出ていました。又、一説にはこのコクテールは浜田さんが創案されたともありまして、混乱しているようですが…
浜田 それは両方共違いますよ、。このミリオン・ダラーは私が横浜のグランド・ホテルにいた時、支配人のマンワリンさんが上海のアスター・ハウスでこれを飲み、当時上海で流行していた関係もあってうちのホテルでもこれをやろうという事になったのです。丁度大正二年ごろでしたよ。ですから、正確にはこれは上海で出来たのに間違いないところです。
あの頃は、日本にはパイン・ジュースがありませんでね。ホテルではわざわざホノルルから取り寄せたものです。当時のパイン・ジュースは、ジュンジャ・ヱールに似た色で、甘みがついていましたね。
これが非常にお客様に受けました。その後私が東京会館、カフエー・ライオンに来てこれを出しましたので、東京でも物凄く流行するようになったのです。
ですから、ミリオン・ダラーは出来たのは上海ですが、東京へ拡めたのは私です。
というように浜田は
・ミリオン・ダラーの創始者はルイス・エッピンガーでも佐藤紅霞*3や浜田でもなく、当時上海で流行していたものを、浜田が横浜のグランド・ホテルで出すようにした。
・その後、東京会館や銀座のカフエー・ライオンでも浜田はこのミリオン・ダラーを提供したので、東京でも人気になった
としている。
横浜生まれのカクテルとする従来の説とは異なるが、エッピンガーのもとで働いていた浜田の証言であり、当事者の言として信用が置けるのはないかと思う。
また、傍証として1924(大正13)年に実業家、三竹勝造が記した『南遊茶話』(南遊茶話 - 国立国会図書館デジタルコレクション)に「ミリオンダラコクテル」としてインドネシアのブラスターギホテル(Berastagi Hotel)のレシピが掲載されている。
明治27年横浜発祥のカクテルが、大正13年のインドネシアで作られていたとも思えず*4、やはり、このカクテルは浜田の言うように、上海や南洋で流行していたカクテルが横浜に上陸したと考えるべきかと思う。
*1:インタビュアーは大森彦治。大森については詳細不明
*2:引用者註:佐藤紅霞『洋酒 : ストーレトからコクテールまで』(ダヴィッド社, 1957)の「ミリオン・ダラー・コクテール処方由来記」
*3:翻訳者。性風俗研究家。なお佐藤についてはWEB上では小田光雄氏のこの記事が詳しい。「古本夜話19 佐藤紅霞と『世界性欲学辞典』」(『出版・読書メモランダム』)
*4:なお、wikipediaのミリオン・ダラーの項には「ドライジンを使用するレシピは1910年にラッフルズ・ホテルの厳崇文(嚴崇文、Ngiam Tong Boon)によって考案されたと言われている」とあり、ブラスターギホテルもドライジンを使ったレシピになっている。地理的にブラスターギホテルのレシピはラッフルズホテルの影響かもしれない