酒徒行状記

民俗学と酒など

【メモ・書きかけ】安田浩一『右翼の戦後史』に出てくる武術・武道関係者

安田浩一『右翼の戦後史』(講談社現代新書)読了。

「右翼」の戦後史 (講談社現代新書)

 

上記のようなtweetをしたら、フォロワーの方と「石田和外、最高裁長官としては非常に人気がないけど、武術家だったのか!」と少し盛り上がった

なので簡単に同書に出てくる武術・武道関係者の単語をメモしておく。

 あくまでメモのため、引用の大部分をWikipediaに拠っている。参考にする際には注意されたい。

 また本稿は各種出版物・web等の公開情報を基に記載したものであることを改めて明記しておきます。

 

  • 血盟団・日本皇政会・金鶏学院(日本農士学校)
     血盟団の実行部隊に武術関係者は見えないが、伊藤広という人物が、実行犯の菱沼五郎や黒沢大二を匿ったことにより懲役刑を受けている。
     伊藤広は今泉定助*1という神道家が率いる日本皇政会という組織の理事であり、この日本皇政会には今泉定助の弟子であった国井善弥(鹿島神流第十八代宗家)があった。
     伊藤は当初、国井の道場で、匿ってほしいという相談を行うが、道場では、人の出入りもあるため、同会で国井と同じく武道師範を務めていた大槻豊(大月流合気柔術師範。新編埼玉県史では大槻豊照。)宅に避難させ実行日まで匿った。*2*3*4
     なお、大槻豊は五・一五事件にも関係者として名前が出ており*5安岡正篤の私塾、日本農士学校で柔術日置流弓術を指導していた。*6*7

 

 (この項 木村篤太郎 - Wikipedia をもとに作成)
 

  • 石田和外
     第5代最高裁判所長官。第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家。
     旧制第一高等学校は佐々木保蔵の薫陶を受け、後年、佐々木の娘を妻にする。
     裁判官時代に、一刀正伝無刀流の草鹿龍之介に入門。後に第5代宗家を継承する。笹森順造に小野派一刀流弘前藩伝)も学び、免許皆伝を受ける。

 1974年3月、木村篤太郎全日本剣道連盟初代会長退任により、同連盟2代目会長に就任。同年、町村金五らと大東流合気柔術幸道会創設者の堀川幸道に名人位を授与。

宝蔵院流高田派槍術、一心流薙刀術の伝承・復元の中心人物でもある(現在は宝蔵院流第18代宗家とされている)。 

 (この項 石田和外 (裁判官) - Wikipedia  をもとに作成)

 なお旧制第一高等学校では撃剣部(剣道部)山里忠徳(木村篤太郎の師の一人)が1918年(大正7年)より宝蔵院流高田派槍術と一心流薙刀術を指導していたことから、この縁で石田も両流派の伝承・復元に勤めたものと思われる。

 あとフォロワーさんに教えてもらった、石田が法曹界で人気ない理由は、

 ・昭和44年の「ブルーパージ」(青年法律家協会所属の裁判官に対する差別人事)

  昭和44年開始の,裁判所におけるブルーパージ | 弁護士山中理司のブログ

 ・八幡製鉄事件(会社による政治献金が適法であるかについて争われた訴訟)

  八幡製鉄事件 - Wikipedia

 によるとのこと。ブルーパージ。昔、『家栽の人』読んで知ったやつだ…

家栽の人(1) (ビッグコミックス)

 

 

  大山倍達 - Wikipedia を参照(詳しい類書も多いかと・・・)

 

  • 大森曹玄
     臨済宗僧侶・直心陰流皆伝・鉄舟会師家
     明治37年(1904年)3月10日- 平成6年(1994年)8月18日
     少年時代より有信館道場にて剣道を学ぶ。後、山田次郎吉に学び直心陰流皆伝をうける。1948年(昭和23年)、東京高歩院住職。 (この項、大森曹玄 - Wikipedia ならびに大森 曹玄「天地の大道に直入する剣」天地の大道に直入する剣/大森曹玄 | 全日本剣道連盟 AJKFの記載をもとに作成)。上記資料には記載がないが戦前は、大森一声の名前で右翼活動を行い、二・二六事件などにも関係したとのこと。大森曹玄(一声)氏談話速記録が記録としてあり。

    iss.ndl.go.jp

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 以上簡単なメモとして。というか調べだしたらものすごく長くなりそうなので、暇な時に補記するかも。