酒徒行状記

民俗学と酒など

関西将棋巡り(上)

承前

 将棋好きの人はもうご存じだと思うが、2024年、日本将棋連盟100周年を記念して東京の日本将棋会館と大阪の関西将棋会館が建て替えられることになっている。

 東京千駄ヶ谷日本将棋会館は、現在の位置からほとんど変わらない、千駄ヶ谷の駅前の千駄ケ谷センタービルに移るだけだが、大阪福島の関西将棋会館は現在の位置からだいぶ離れた大阪高槻市に移転することになっている。

  この一月、たまたま関西に行く機会があったので、ふと大阪の将棋関係の場所を巡ろうと思い立ったわけだが、しかし、なぜわざわざ将棋好きでもない私が関西将棋会館に行こうかと思い立ったのには2つ理由がある。

 一つは、ここ何年か白鳥士郎の『りゅうおうのおしごと』にはまっているからである。

 『りゅうおうのおしごと』は16歳という異例の若さで将棋のタイトルを取った九頭竜八一のもとに、女子小学生の弟子(小学生だが、当然ヒロインとして天才的に将棋が強い)が入門し、互いに成長していくというラノベである。

 こう書くと、ありきたりなラノベであるが、白鳥氏の取材力の高さや筆力により、ラノベの皮を被った熱い将棋小説なのである。*1もっとも、取材力が高すぎるせいか、現実世界の藤井聡太竜王(19歳で竜王位奪取)の活躍を予言することになり「現実に、負けるな。 いま一番、現実に追い抜かれそうな将棋ラノベ最新刊!」などという帯をつけられることになってしまっているが…

 そして、この小説が面白いのは、東京の棋士たちではなく、関西の棋士を描いており、通天閣ジャンジャン横丁、法善寺横丁などの大阪を中心とした関西の風景が良く描写される点にもある。

 当然関西の棋士たちが活躍する関西将棋会館も描写されている。

 

 「こ、ここが・・・・・・しょーぎかいかん・・・・・・!」

 関西将棋会館の前に到着すると、あいは感極まった様子でこう言った。

 「すっごく、その・・・・・・わかりやすいです!」

 「壁にめっちゃデカくかいてあるからな『将棋会館』て」

 大阪駅から環状線で一駅隣の福島。その福島駅から徒歩二分の五階建てのビル。

 それが日本将棋連盟関西本部の拠点たる関西将棋会館—通称『連盟』だ。(『りゅうおうのおしごと』第1巻)

 この関西将棋会館をぜひ移転する前に見てみようと思ったのが、理由の第一であった。よくある聖地巡礼いように「うへへ、ここにあいちゃんが…」とか「桂香さんがみえる、みえるぞ」というわけではないことは念を押しておきたい。

 

 もう一つの目的は、関西将棋会館に併設する洋食店イレブンの「珍豚美人(ちんとんしゃん)」である。

 同名を愛称にする銀座の老舗とんかつ屋(とんかつ銀座梅林。昭和はじめ講談師の五代目一龍斉貞丈が珍豚美人(ちんとんしゃん)と名付ける。)があるが、この料理とは関係がない。

 豚の竜田揚げに赤いソースをかけた料理、写真などを見ると、たしかに白い衣に赤いソースが美人の唇のよう。料理名をちんとんしゃんと三味線の音と絡めたのも、ベタベタなネタだけど好物である。

 イレブンについては、高槻に移転するか現時点でもよくわかっていないが(はじめ移転するという話があったが、結局移転はなくなった?2023年3月現在ちょっと不明である)、もし移転するなら、行きやすい福島にあるうちに、ぜひこれも食べてみたいというのが今回の旅の2つ目の目的であった。

(1)関西将棋会館とクレーム客

 さて、まずは大阪福島めぐり。

 私自身、大阪の南側には親戚などもあって時々来ていたが、あまりこちらには来たことは少なく、福島に来るのも初めてであった。

 修士の時、この福島をフィールドにして都市民俗学の研究をしようとした学生があったのだけど、下調べに彼女の論文を読んでおけばよかったなあと、ちと後悔する。将棋会館が開く前についたので、駅前の商店街などをうろうろする。

うれても占い商店街

 売れても占い商店街…こういうネタ大好き。

 このほかガード下の商店街など覗いてうろうろした後、念願の関西将棋会館に向かう。 

 

関西将棋会館

 来てみるとなるほど、たしかに小説にあった通り、でかでかと、将棋会館の文字が書かれている。

 昭和56年に建設されたこの建物は、江戸城本丸の黒書院(御上段の間)を再現していることで有名である。

 アニメ版「りゅうおうのおしごと!」OPでは、和室で四の掛け軸をバックに主人公、九頭竜八一が、将棋を指すシーンが出てくる。

 これはこの御上段の間を取材したもので、部屋にある永世名人が揮毫した4つの掛け軸、

 「天法道(天は道に法(のっと)り)」(十四世名人木村義雄書)
 「地法天(地は天に法り)」(十五世名人大山康晴書)
 「人法地(人は地に法り)」(十六世名人中原誠書)
 「道法自然(道は自然に法る)」(十七世名人谷川浩司名人)

 の字*2をアニメのOPでも読むことができる。

 また、以前は、この建物には将棋博物館があり、古棋書や将棋盤・駒、各国の将棋用具などが展示されていたが、これは現在、閉館となり大阪商業大学アミューズメント産業研究所に所蔵資料は移管されている。*3

 高槻に移ったら、将棋博物館も復活させればよいとは思うのだが、資料など移管してしまっては厳しいかもしれない。 ぜひ、再移管あるいは再寄贈を受ける、あるいは、別途資料を展示して博物館機能も持たせれば一つ良い目玉になると思っている。

 そんなことを思いつつ売店を見にいく。高級な将棋盤や駒がショーケースに飾られていると思ったが、残念ながら、日焼けを嫌うということで、現物はしまわれており、写真のみが展示されていた。これは少し残念であるが仕方ない。

 

 売店で、一番目立つのは、棋士たちの揮毫した扇子である。「百折不撓」「清流無間断」…といった文字があって、ちょっと興奮する。

 せっかく来たので友人の土産はここで買おうと思い、関西将棋会館のシンボルでもある御上段の間クリアフォルダと将棋会館の構造図クリアフォルダを買う。将棋会館の構造図クリアフォルダとか、マニアックすぎるだろ…

 

 うきうきと、商品を選んでいると、販売部の人にクレームをつけているおっさんがいた。

 何を買ったかはわからないが、何か買ったものが一回使ったら壊れたらしい。

 (客)「なー、これ使うたら、1回で壊れたねん。こんなんありえへんやろ。交換して」

 (売)「でしたら購入時のレシートをお持ちいただければ、交換ができます」

 (客)「そんなん、もうないわー」

 (売)「えーと、購入されてお使いになったはいつごろでしょうか?」

 (客)「去年(2022)の春くらいに買って、使ったのは9月くらいや」(この話は2023年1月の話である)

 (売)「…さすがにそれですと…レシートがありませんと」

 (客)「なんやそれ、そんなのおかしいやろ。上の人にちゃんと伝えて!」

 こういうとこでも、こんなクレーマーいるのか…関西はおっかない。

  販売部のおねえさんに「大変でしたねえ」と声をかけて、イレブンに向かう。

  

 (2)イレブン「珍豚美人(ちんとんしゃん)」

 さて、ようやく昼飯時になったので、レストランイレブンに入る。

  レストランイレブンは 1981年創業。現在の関西将棋会館の建設が1981年なので、まさしく現在の関西将棋会館とともに歩んできた洋食屋である。

 中に入ると、U字型のカウンターでキッチンがライブでみられる席が入口すぐにあり、3つほどテーブル席がある。

 壁やテーブルに重厚な木目を生かした感じの大変落ち着いた店であった。

 ここには看板メニューとして「バターライス」(藤井聡太竜王の好物として話題になる)「ダイナマイト」(未詳。『りゅうおうのおしごと』でもあえて詳細は伏せられている)などがあるが、「珍豚美人(ちんとんしゃん)」もそうした看板メニューの一つである。

 イレブンの珍豚美人は『りゅうおうのおしごと』では次のように描写されている。

 

「ま、まあせっかくここまでいらっしゃったんです。まずはお食事でもいかがですか?この『珍豚美人』なんてオススメですよ?」

 メニューを広げながら料理の説明をする。

 ちなみに珍豚美人はトゥエルブ*4のマスターによる創作料理で、軽い衣をつけた豚肉に甘酸っぱいソースをかけた逸品だ。変わった名前だけど俺は好き。(『りゅうおうのおしごと』第1巻)

 さてカウンターに座り、手際よく料理をしている親父さんと若手(息子さんかしらん)をながめつつ、初手は瓶ビール一本。

 

イレブンのカウンターとビール

 私は普段、一人で飲むときは、腹が張るので、ビールは避けることが多いが、レトロな雰囲気にひかれて、珍しく瓶ビールを頼む。定跡外しの一手であるが、揚げ物とビールは味が良い。好型である。

 他の定食なども気になりつつ、当初の研究通り、珍豚美人を頼む。

 愛想のいいホールのお姉さんから「ビールと一緒でしたら、ご飯はなしにします?」との応手。店の人のおすすめには、基本、受けに回った方がいいというのが私の食風である。すこし考慮時間を使い「ご飯はなしでお願いします」と返す。

 さて、ビールをちびちび飲みすすめていると、土曜の昼時だというのにだいぶ混んできた。見るととなりの人は将棋の定石本を読んでいる。さすがは将棋会館である。

 そんなこんなでやがて珍豚美人が到来。ガルニチュールと豚の天ぷらの色合いが見事である。

イレブンの珍豚美人(チントンシャン)

 衣は軽くしてあり、少したたいて柔らかくした豚はとても柔らかく、衣のサクサクした風情とあっていておいしい。

 豆板醤とゴマのソースのせいか中華料理っぽい風情があるのも私の好みである。思わず2杯目にハイボールを頼み完食。

 あまりにも旨くて、もう一品ぐらい何か別の料理を頼もうかとも思ったが、老舗の洋食屋で、しかも混んでるランチの時間に長居をするのは、ちと味が悪い。

 ハイボールを飲んで、関西将棋会館とイレブンを後にした

 珍豚美人、ごはんにもよし、つまみにもよし、ああこれが東京でも食えたらとこの文を書きながら今でもよだれを垂らしている。イレブン、ぜひまた夜などに来てゆっくり飲みたいものだ。

 

 …さて、ここまで書いて、賢明な将棋好きの人々は「関西将棋会館まで行ってなんで売店見て飯だけ食って帰るの?将棋道場行って手合い申し込んでくるんじゃないの?」と気づいたことであろう。

 実は、下調べが不十分で、上の階で将棋があって道場手合いできるの知らなかった。なので、わざわざ関西将棋会館に道場には行かずであった。

 というかこの段階では、将棋多少興味あっても、自分で指そうとは全く思っていなかった…

 それが、180度変わっって急に将棋趣味を覚えた件についてはまた次回「関西将棋巡り(下)」にて。

*1:特に主人公の一門の一人、清滝桂香や師匠清滝鋼介の活躍する7巻はおっさんの熱い復活の話でおすすめである。

*2:いずれも老子道徳経の二十五章より。なお、永世名人は原則として引退後に襲位する称号であるため、「道法自然」の掛け軸は、谷川浩司が現役棋士である間、谷川が対局者もしくは立会人のときには外される。参考:関西将棋会館|将棋連盟について|日本将棋連盟。 なお、先日横浜の中華街を歩いていたらこの語を使ったキャラ絵が横浜中学校の壁に書かれていた。結構有名なフレーズなんだろう

*3:特別展示 | 主催講座・イベント | アミューズメント産業研究所

*4:なぜか作中ではイレブンではなくトウェルブとなっている