はじめに
杖太刀という語をご存じだろうか?
刀や竹刀あるいは木刀を杖のように地面に突く行為である。
私は幼稚園の時に剣道を少しだけ習ったが、竹刀をまたぐのと、竹刀を杖みたいに突くのをやるととっても怒られたことは覚えている。
で、杖太刀。
世の中の大多数の人には、どうでもよい話なのだけど、ネットの片隅で、「日常動作で刀や太刀をを杖のように突く所作はありえない。それは現代になって、映画などでできた所作である」という議論が湧いたことがある。
少しその話を整理しつつ、議論に対する見解を述べたい。
1.議論の経緯
そもそもこの議論は天心流という古武道流派が「杖太刀」という技をyoutubeにて公開したことにはじまる。
【天心流】杖太刀 Tsue-Dachi 【Tenshinryu】
https://www.youtube.com/watch?v=RrjldCLvNjM
この流派では、刀を帯から外した際(脱刀時)に、刀を杖のように立てる所作を「杖太刀」*1と呼び、そこから抜刀する技法を紹介している。
これについて反論をしたのが居合道家でもあり刀剣商でもある町井勲氏である。
町井氏は
・自身が扱った刀剣について、鐺を地面や床についた擦過痕が見られない
・幕末の写真は、写真館のものであり、いくつかの武士の写真は足の甲に乗せるなど、鐺を床や地面につくことはためらいが見られる。
・刀を杖のようにつくのは構造上刀が痛む。
ことを根拠に、
・打刀形式の刀を地面に立てるような作法は、少なくとも江戸時代には無かった
・腰から外した刀を立てるに当たっては、直接地面に触れさせず、草履の上や足の甲の上にこじりを立てるのが一般的であった。
・刀を杖のようにつくのは構造上刀が痛むため、心得のある武士はやらないはずである
・杖太刀の所作は外国人写真家の求めに応じたポーズ付けである
として、杖太刀の所作は武士が日常一般的に行う所作ではなかった。
と結論づけている。
町井氏の反論については、町井氏がギネスブックにも載る著名な居合道家ということもあり、Twitterでは非常に多くの意見が寄せられることとなった。*2
これらTwitter上の議論と町井氏のブログの議論を整理して、武道史研究のみんみんぜみ@inuchochin氏は
日本刀のコジリを地につけ、杖のように立てる所作・動作について - Togetter
とTwitter上の議論をまとめて、
・明治維新以前にコジリを地に付け立てる、
・杖につく所作(動作)があったのか
・武士にとって杖つく事に禁忌感情があったのか?
という観点から
と意見を述べている。
さて、これらが現時点での杖太刀論争のおおよその経緯であるが、画像資料からはどのようにこの議論について、意見を述べられるか記したいと思う。
2.歌舞伎おどりの杖太刀
町井氏は、また別のtweetで、「刀を杖のように立てて腕を乗せる、某流の『杖太刀なるものが近年の創作であることが、館野まりみ氏著『女かぶき図の研究』という書籍で今回明らかになったといえる。ご興味のある方は是非、舘野氏の著書P51、52をご覧いただきたい。」と指摘している。
ただ、筆者が舘野氏の博士論文を確認したところ、そうした記述は見つけることができなかった。
むしろ当該論文では「杖太刀」の図像は阿国の「かぶき物」や遊女歌舞伎にも見え、遊女歌舞伎が阿国歌舞伎のポーズを進化させ舞台映えがする形として取り入れた(p.33)としており、
・「杖太刀」は近年の創作ではなく、慶長・元和年間には図像資料に見える。
・杖太刀は舞台映えする所作として思われていた。
事を示している。
3.浮世絵・錦絵の杖太刀
さて、では阿国かぶきからすすんで浮世絵や錦絵では「杖太刀」の所作はどのように描かれているであろうか?
「ARC浮世絵ポータルデータベース」というサイトは立命館大学アートリサーチセンターが開発した浮世絵を横断的に検索できるサイトである。
これで「刀」を検索語にして検索をすると2049件の画像の中に刀が描かれた浮世絵・錦絵が出てくる。
2049件中、杖太刀の図が描かれた図は決して多くはないのだけれども、それでも浮世絵・錦絵の一般的な構図としてみることができる。
5枚の図を例として挙げたが、「杖太刀」が男役、女役、室内・室外を問わず描かれていることがわかることと思う。
これらの絵からは、阿国の「かぶき物」や遊女歌舞伎と同じく、杖太刀が舞台で映える所作であり、役者絵の一般的な構図であったことが読み取れる。
4,幕末から明治の写真の杖太刀
では、幕末期の武士の写真はどうであろうか?
今回、『幕末明治の肖像写真』(石黒 敬章 著)を確認したところ、たしかに町井氏も指摘しているように、床につかないように提げ刀にしたり、足の甲に乗せている写真もある。
しかし大多数の杖太刀を行っている写真は、ほとんどそうした配慮をせず、無造作に床に杖太刀をし、手を柄に載せている。
下の2葉は第一回遣欧使節団の中心メンバーと随行者の写真であるが、着座中心と立ち姿という違いはあるものの、床に刀を突くのに提げ太刀にしたり足の甲に乗せたりと、気を使っている様子は見られない。
なぜこの時彼らは刀を外し、杖の様に突いたのだろうか?
これも理由は明確である。集合写真で、この人数で刀を帯びて並んで写真に写るのは互いに刀が邪魔だからである。
画角に入るよう自然な形で脱刀し、刀が邪魔にならないよう杖の様に突いて皆で写ったものであると考えられる。
あるいは一人だけの時も杖太刀を普通に行っている。
この人物は杖状のものを持ち、なおかつ杖太刀を行っている。
この写真がダゲレオタイプで撮られたもの(撮影時間は2分程度)か湿式写真(撮影時間20秒から30秒)かは不明だが、突くにあたって躊躇や配慮をしている様子は見えない。(もし配慮するなら座って撮るだろう)
むしろ錦絵や役者の立ち姿のような「かっこいい姿」を意識して、あえて立ち姿で杖太刀をしたものと考えられる。
町井氏の指摘のように、たしかに人によっては足の甲に乗せたり、少し浮かせて提げ太刀の方にした写真もあるが、そんなに数は多くない。
ここは人によりけり、状況によりけり、気にする人もあれば気にしない人も多かったと解したほうが良いとおもわれる。
おわりに
このように、刀を杖の様に突く所作は、江戸時代の人にとっては、ごくごく普通の事として(特段意識することなく)、行われていたことは明確である。
今回は写真資料を中心に検討したので、町井氏の指摘する、「現存する拵えの鐺に擦過傷が見られない」という点に就いては、明確な回答は出せない。
これについては、ぜひ刀剣補修などで拵えをよく扱う方に尋ねてみたいところである。
ただ、江戸時代の人も、刀を金剛杖のようについてつかつか歩いたり、石畳みや河原で本当の杖のように突いて使って歩いたわけではないと思われる。
あくまで一時的な立ち姿として杖太刀の所作を行っていたのであり、そんなに擦過痕ができるような使い方まではしていなかったものと思われる。
冒頭でも少し触れたように、現代の剣道などでは、刀をまたいだり、竹刀を杖のようにするのは非常に怒られる所作ではある。私は居合は知らないけども多分、似たようなものだと思われる。
ただ、それがずっと古くからの感覚であるかという点については、やはり、注意をして意識の変化を見る必要がある。杖太刀はそのことを考えさせてくれる良い事例ではないかと考えている。
なお、杖太刀が、古くはふつうの所作だったとはいえ、現在では日本刀や拵えは「美術品」である。いたずらに床や地面に突いて、破損をさせたり傷をつけるべきものではないという点に就いては私も町井氏と同意見である。
写真引用 "幕末明治の肖像写真 角川学芸出版単行本"(石黒 敬章 著)https://amzn.asia/d/7fYatFx