令和七年、弥生下旬-野州戦記(1)
4月より、しばらく野州(栃木)に縁のあるくらしをすることになりそうである。
別に負け戦ではないのだけど、多摩の講義もしているたので、その後に下野国行くと、気分は新選組か土方歳三である。
「宇都宮がだめでも会津がある、会津がだめでも、蝦夷地がある」(NHK大河ドラマ 『新選組!』)…自分はどちらかというと西国の人間なのであまり北に行くのは慣れていないがこういうセリフは大好き。
新選組か土方のひそみに倣って、時々、野州戦記と称して、野州の記録を記そうと思う。(内容は『野州のみある記』なのだけど、ちょっとはずかしかった)
ーーー
令和七年弥生下旬-野州戦記(1)
栃木市で某先生の講演を拝聴したのち、先生と学生さんと15時まで会食。
会食終了後、私は栃木市に住む友人の民俗学の研究者を宇都宮に呼びだして、オリオン通りで飲み会。同じ栃木県内でも1時間くらい離れているのは知らなかった。
友人に聞けば本来、栃木市と宇都宮は国が異なるとのこと。野州は広い。
また、思ったよりJR宇都宮と東武宇都宮も離れていた。二荒山神社などを拝みつつ飲み屋を探す。
1軒目は居酒屋<出世街道>、
https://tabelog.com/tochigi/A0901/A090101/9010024/
2軒目<みそだれやきとり かんちゃん >。
https://tabelog.com/tochigi/A0901/A090101/9016997/
出世街道は昼飲みができる店だが、人員不足で、18時までの営業とのこと。それでは居酒屋ではなく食堂ではないか…でも日本酒は地酒がそろっていた。澤姫という宇都宮の地酒を飲む。納豆マグロもよい
2軒目のかんちゃんは繁盛していて気になったので入る。
みそだれは面白いなと思って「栃木の人は味噌で焼きとん食べるんですか?」と聞くと、8年ほど前に、埼玉の東松山のやり方をマネして取り入れたとのこと。
味噌焼とんの店は他にもあったので、宇都宮もだいぶ埼玉の影響をうけているんかもしれない、ここは精査が必要。
いずれにせよかなり旨い、焼きとんやだったのでまた行こうと思う。
3軒目バー<パイプのけむり池上町店>。
友人がバーに行ったことないというのでつれて行く。
https://tabelog.com/tochigi/A0901/A090101/9001920/
ギムレット、ピンクジン等のむ。友人は村上春樹訳の『長いお別れ』が好きだったので一度飲みたいとのこと。私も『長いお別れ』からバーを始めたのだった。
以前カクテルに関する論文も一つ書いたが、『長いお別れ』を引用したのはそのためである。
そして、この店と4軒目の<夢酒OGAWA>はその昔東中野のバー、Sのバーテンダーさんと宇都宮ツアーをした時に知った店だった。
その後いろいろあって、あまりSには伺えてないが、再訪したことを伝えねば。
友人を3軒目で見送った後、夢酒OGAWAへ。
https://tabelog.com/tochigi/A0901/A090101/9000022/
バーの街宇都宮で現存する一番古いバー。ここも前に佐々木さんと見つけたのだった。78歳のバーテンダーが息子さんとやっている。
ギムレット、オールドファッション、ピンクジン、バイオレットフィズ飲む。
どれもおいしかったが、特にオールドファッションドが、とても美味だった
どの酒も非常に美味。
栃木に縁あって、今後もお世話になる旨を伝えて帰る。
オリオン通りに戻り、ラーメン<鶏白湯ぱいず>で夜食。だいぶ飲んだこともあり、なかなかうまいラーメンであった。
オリオン通り夜も若者が多いのには驚いた。
タクシーで、スーパー銭湯<南大門>に行き宿泊。
露天風呂が源泉かけ流しなのと、温度の違う三段階の湯船になっていて最高だった。
食事処が深夜営業していないのは残念。
知らんこわもての兄さんからX(Twitter)で「まだオリオン通りですか」というリプライが来たのはちょっとおっかなかったので、ミュートする。
翌、日曜。
前日夜更かしをしたのでちとしんどいが、朝風呂入る。
9時にチェックアウト。東武宇都宮で朝飯を食えるとこを探すが、見つからず。フレッシュネスバーガーで朝飯。電源があったので、2時間半ほど、いくつかメール作業とDEEPチャイナの原稿書きする。
混んできたので、店を出る。フレッシュネスバーガー、宇都宮のオタクビル<フェスタ>の中にあったので、見学。
https://utsunomiya-festa.jp/
栃木の地域おこしに美少女キャラを使っているのが印象的であった。
「とちぎけん V25」
https://wanpakukozo.themedia.jp/posts/21871021/
実際認知度どこら辺まであるんだろ。どうも栃木は美少女キャラが乱立していて、かなり混乱があるようである。
以前宇都宮ではこんな公認キャラクターが実は非公認だったなどの問題もあったし…
蒼空はるか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%BC%E7%A9%BA%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8B
ここら辺は一度整理すると良いかもしれない。
見学後、餃子会館で昼食。餃子と焼きそば。レモンサワー2杯。
シンプルな味。 このあと県立図書館で資料調査の予定だったが、雨と寒さが強くなり、天候悪化。私自身も寒さと寝不足のせいか、かなり疲労気味なので東京に帰る。
2024年リツイートが100以上あったtweet
友人がX(Twitter)で一定数以上リツイートされたものの検索式を教えてくれた
折角なので、自分の2024年のtweetのうち100以上リツイートされたtweetを検索して、今年の回顧にしよう
検索式は以下の通り
from:syutoyoshikaze min_retweets:100
【1月】
・辰年パン
これを、辰(龍)とするパン職人の度胸に敬意を表したい。 pic.twitter.com/Gv9XAu6GoQ
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月4日
→このパンはそろそろ巳パンとしてそろそろ仕込まれると思う
【2月】
・ブドウの除梗破砕機
これはワイン醸造につかうブドウの破砕機ですね。写真は山梨県勝沼のもの。これでブドウの軸と実を分けます(東温市歴史民俗資料館に伝えるのどうしたらいいでしょ) https://t.co/CQNw0qTqqt pic.twitter.com/NIVFLnGQvb
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月1日
m/syut
→まとめもできていた。
【集合知】学芸員も分からない道具、Twitterで募ったところ有力説が集まる - Togetter [トゥギャッター]
結局、東温市の博物館には伝わったのだろうか?
・肉吸い
東人よ。これが「肉吸い」である。「肉吸い」にうどんやそばをいれてはならぬ https://t.co/s9acmxSwgo
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月8日
→職場の近くのJAみどり食堂(JA共済ビル内)では時々。「肉吸いうどん」なるなるものが出るのだけど。肉吸いは肉の吸い物であるからして、うどんを入れたらそれは肉うどんなのである。
卵ご飯と肉吸いのセットにしてほしい。
大阪名物“肉吸い”発祥の店『千とせ』。その美味しさの秘密と楽しみ方(食楽web) - Yahoo!ニュース
【3月】
・平知盛と壇ノ浦の刺青
銭湯で変わった柄の刺青のおじさんを見る。聞けば平知盛と壇ノ浦の合戦とのこと。「全員負けた連中ですがね」「なんでそんな柄を?」「昔、尊敬する先輩が殺されたので、その恨みを忘れないためです」
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年3月2日
近世のような話である。
→よく行く銭湯で見かけた。
私自身は刺青は苦手なのだけど、銭湯で風呂入りながら、人の図案を眺めるのは好きなのです。
最近は洋物が多くて、あまり面白い図案を見かけません。
銭湯で変わった柄の刺青のおじさんを見る。聞けば平知盛と壇ノ浦の合戦とのこと。「全員負けた連中ですがね」「なんでそんな柄を?」 - Togetter [トゥギャッター]
・乱と変
すみません、これ全くの誤りです。
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年3月15日
良いサイトが今引用できないけど、成功失敗ではないですhttps://t.co/b0V0tucFwn https://t.co/9wtN99Lryg
→そういえば説明できるサイトを紹介してなかった。
レファレンス協同データベースのこれが、一番わかりやすいかと。
歴史上の「~の乱」「~の役」「~の変」がどのようにして使い分けられたのか知りたい。 | レファレンス協同データベース
『戦乱』(安田元久/編 近藤出版社 1984.6)
編者による「乱・変・合戦・役・戦などの用語について」という一文が3頁に渡って収録されています。
「古来、戦乱や戦闘を呼称するとき、さまざまな用語が用いられている。それは、それぞれの事件・事象によって区別され、固有の呼称が行われるという場合もあるが、それも必ずしも一定せず、ある一つの戦乱あるいは戦闘の呼称についても二つ以上の呼称が行われている例もある。かつての国定教科書によって教育され、また現今の検定教科書によって得た歴史知識の範囲内では、比較的統一された呼称が習慣として固定している傾向がある。しかし、そこでも例えば「承久の乱」か「承久の変」かの疑問があり、また「元弘の変」「元弘の乱」、「嘉吉の変」「嘉吉の乱」の相異についての解釈、あるいは「西南の役」「西南戦争」といった呼称の差の解明についての不明確さが残っている」とし、「時代によって、その「言い慣わし」に変化があったことは明らかで、それはそれぞれの時代の思想傾向や、歴史を記述する人の歴史観と密接な関係をもつという側面もある」と記されています。(p.242)
・かぐや姫のとりだし方
なるほど、これなら、先端に切れ目を入れたあと、繊維に沿って割けばいいので、竹取姫を安全に取り出すことができます。ライフハックだ! https://t.co/TUhwYw16Hi
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年3月20日
→これはまとめができていた
かぐや姫って竹を切る時ぶった切られないの?→大正解の切り方をしてる翁を発見した「そういう切り方あるんだ!」 - Togetter [トゥギャッター]
【4月】
・北朝鮮への「帰国事業」
すごい、手紙だ…おっかない「村から外出の自由なし、兄さんはここにくるべからず。だが母はもう一度あうつもりだという。富山の妹さんもこないように。文藤の父さんの言う事間違いない」 https://t.co/xJXZHs0egA
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年4月21日
→この悲惨な手紙については以下の記事が詳しい
日本で「北朝鮮政府」を訴える―― 「地上の楽園」に騙された脱北者の闘い - Yahoo!ニュース
【5月】
・生豚レバ事件
そして勘定したら、一杯しか飲んでいないメガハイボールを2杯分取られかける。(えらい高いので確認した)
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年5月16日
ホールのミスは仕方ないけど、タイミングが悪かった。
海原雄山並みに激おこである。保健所に連絡したいくらい https://t.co/x13tGYizHA
豚レバー。保健所も指導して下さったので消そうと思います(いつまでも店名が分かる形で表示されるのもよくないですし)
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年5月17日
肉生食の文化は否定しませんが、生肉を提供し食べる場合は、店も客も知識を持ち、リスクを認識した上でと思っています。少なくとも酔客に美味しいよと軽々に勧めるものではないかと
→今年一番バズったTweet。
女性自身の導入でも明示されていないが紹介された。(引用してくれても良かったのよ)
ただ、この後文献調査をしたらどうも、戦前から、東京の下町(23区東部?)の安価なもつ焼き屋では、「レバ刺」は、牛か豚かは明示せず、実際には「豚」の生レバ刺を提供しているというのはあったようである。
ただ、現在、非合法的に生レバ刺を出す都内の店が、戦前・戦後のもつ焼き屋の慣習と接続するかは疑問。むしろ牛の生レバ禁止の時に脱法的に豚レバーを出すようになったものと思われる。
一度整理して、文章にまとめよう。
近代食文化研究会さんのこの本が非常に参考になった。
焼鳥の戦前史
【8月】
・伊勢とスサノオ
この話は面白い。伊勢にはスサノオは祀られないのか。やはり。 https://t.co/Adku3XlqJ6
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年8月24日
一連のtweetによれば、西谷氏は結構オカルト畑な背景を持つ方らしい。やはりこういう文化的背景の方が、女神転生のような傑作につながるのかと思う
なお、伊勢にスサノオがいないというのは正しくは伊勢神宮に祀られていないとのことであるようだ。
参考:なぜ、伊勢神宮にはスサノオが祀られていないのか?-人文研究見聞録
【9月】
・二礼二拍手一礼
民俗学者としては二礼二拍手一礼はそう古い作法でなく、近年一般化された拝礼の方式であると述べるのだけど、神社に初めて拝礼するゆうやくん(七さい)には、「お賽銭投げてな、間違えて五百円投げたらあかんで、五円の方な。で、2回頭下げてパンパンして……」と教えてしまう。
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年9月8日
学問の敗北かもしれぬ。
→落合南長崎の縁日に行ったときに、友人の子供に神社のお参りの方法を教えた話。
二礼二拍手一礼の普及についてはこの本が詳しい。私の記憶では、1990年代後半、杉並区、大宮八幡神社では二礼二拍手一礼と祝詞が書かれた木の札が本殿の賽銭箱の近くに置かれていたが、守ってる人はほとんどいなかった。
また、「真ん中を歩かない」「鳥居をくぐる時に一礼する」ということも特には言われていなかった。
「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 「二礼二拍手一礼」はウソだった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
【10月】
・八王子のガチ中華
八王子のガチ中華にきた。これはやばい。 pic.twitter.com/AesLoMX92S
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年10月13日
→八王子の雑居ビルで見かけたガチ中華。私が中華料理に目覚めたころ(1990年代後半)のちょっとアングラなガチ中華の雰囲気がしていた。
この記事でも写真を使った。
友人の「「ガチ中華」って、いつから一般語になったんだ?これ普通に使われているんだけどw」という質問に答えて、はてなブログに投稿しました
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年12月23日
【メモ】【作成中】私の中華料理遍歴と「ガチ中華」の語の定着史 - 酒徒行状記 https://t.co/7DQ7SUDekd#はてなブログ
【11月】
・蘇州号碼
新規に開拓したガチ中華。数字が昔の広東語表記で期待があがる pic.twitter.com/j0ZgVSUXRS
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年11月1日
→蘇州号碼あるいは蘇州碼子を初めて見た。
ただ、ここの表記法は横書きのアラビア数字を蘇州碼子にそのまま置き換えただけで、正式にはそういう書き方はしない(縦書きで書く)という話もあり、この表記法が正しいのかはわからない。
自分でも書けるようにしたい。(かっこいいから)
【12月】
・げんこうできてないこだれだ
学生さんに見られで、ちょっとざわついた壁紙。卒論前の学生は貼ると良いよ
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年12月21日
ありがとうシギサワカヤ先生。 pic.twitter.com/crYUzbN5dZ
→最後の最後で少しバズる。
シギサワカヤ先生の元絵はこちら。PCを立ち上げると原稿をやらねばという気持ちにさせてくれるよい絵
— シギサワカヤ (@ktos_tw) 2023年9月13日
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以上、2024年リツイートが100以上あったtweetでした。来年は論文も書いてバズるくらいにならねば。
oyoshikaze/status/1755569260724945309
https://x.comhttps://x.com/syutoyoshikaze/status/1755569260724945309/syutoyoshikaze/status/1755569260724945309
【メモ】【作成中】私の中華料理遍歴と「ガチ中華」の語の定着史
はじめに:友人からの質問「「ガチ中華」って、いつから一般語になったんだ?」
友人から
news.yahoo.co.jp「ガチ中華」って、いつから一般語になったんだ? これ普通に使われているんだけどw
という質問が来たので、今後の資料もかねて簡単に私の中華料理遍歴と「ガチ中華」の語の定着史をまとめる。
まだ作成中のメモレベルなので、適宜更新・追記の予定。
1.1980~1990年代 「ガチ中華」前史
【1980年代】
・新華僑(1978年に始まった中国の開放改革路線以降に移民した中国人)と呼ばれる人々が日本に来るようになる。
・『美味しんぼ』2巻(1985年3月刊)「手間の価値」で横浜中華街の大物、周懐徳が初登場
→吉風は1989年のアニメ版で知る。
・高橋留美子『らんま1/2』 連載開始(連載:1987ー1996)
→上記マンガは吉風は90年代に入ってから読み始める。なんとなく中国のイメージが形成される。
→吉風、父がこのころシンガポール赴任。夏休みに訪れて、排骨飯が旨い事を知る
→日本では母と中野富士見町の町中華<天津飯店>に行く。中華飯が好みだった。
【1990年代前半】
・1989年の天安門事件以降、「蛇頭」による福建からの密入国が話題になる。
→これを見ながら紹興酒や桂花陳酒を飲むことを覚える。特に李白の「月下独酌」が好み。またこのころ平凡社の中国古典文学大系を読みふける。
【1993年】
・南條竹則『酒仙』を執筆。日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を獲得
【1995年】
・「ガチ中華」の走りの店として赤坂「陳家私菜」成立。
・『鉄鍋のジャン』(西条信二画・おやまけいこ監修)連載開始。
→吉風、こんなうまそうな料理があるのかと、とてもハマる。
【1996年】
南條竹則。酒飲み小説『酒仙』文庫本化
→吉風は1996年頃、文庫本で購入。ファンになる。
【1997年】
→吉風、高田馬場の「夜来香」(現:「火麒麟酒場」)で大学の友人たちと飲み始める。ガチ中華ではないが、台湾料理で安くてうまい店だった
火麒麟酒場 高田馬場店 (【旧店名】夜来香) - 高田馬場/台湾料理 | 食べログ
【1999年】
・池袋「永利」設立
2.2000年代 『池袋チャイナタウン』と『新中華街』
【2000年】
・神田「味坊」設立
【2001年頃】
→吉風、職場のSさんと友人になり、南條竹則『酒仙』で出てきた店に通うようになる。特に小岩の「楊州飯店」に通い白酒「文君酒」の味を覚える。また龍口酒家にも行き、南條竹則先生と鉢合わせしてサインなど貰う。
龍口酒家 本店 (ロンコウチュウチャ) - 幡ケ谷/中華料理 | 食べログ
【2002年】
→吉風、板橋「栄児」の汁無し担担麺にはまる
【閉店】栄児 家庭料理 (ロンアール カテイリョウリ) - 新板橋/四川料理 | 食べログ
→吉風、麹町「天然居」ではじめてタウナギ喰う。とても気に入る
【閉店】天然居 半蔵門店 (テンネンキョ) - 半蔵門/四川料理 | 食べログ
【2003年~2008年ごろ】
・吉風職場の宴会で、「天然居」の紹興酒の瓶(14L)を持ち込み、泥酔者を大量発生させる
・池袋で飲み歩いてる友人と知り合う、池袋や四谷等で飲み歩く。上海蟹を初めて喰ったのもこのころ。
姜太公 四ッ谷店 (じゃんたいこう) - 四ツ谷/中華料理 | 食べログ
【2003年】
山下清海氏、雑誌『地理』2003年8月 号に「華人社会を知る--その見方、歴史、現状」「華人社会を知るための書籍・HP案内」を掲載。
【2005年】
地理学者山下清海氏が新・中華街として池袋チャイナタウンをHPで紹介。
当時、多民族が集まるエスニックタウンとして東京・新大久保などに注目していました。でも池袋北口は盲点でした。いわゆる「新華僑」と呼ばれる在留華人がこれだけ増えているのに、観光地の顔がない華人街、世界各国にあるようなチャイナタウンが東京にないのはなぜか。長年のそんな疑問が解けました。
留学生の指摘を受けてさっそく調査で歩いたところ、雑然とした駅前繁華街のビルの上階に、中華食材や日用品を売る店、飲食店がたくさん入っています。華人経営の旅行会社や新聞社、ヘアサロンもあり、中国語で全ての用を足せます。賃料の安い上階に出店するので目立たなかったのです。05年時点で39軒の店舗や会社が点在していました。
まさしく東南アジアや米国など世界で見るような、華人の生活やビジネスの場としてのチャイナタウンです。雑誌で紹介し、05年には情報発信のホームページを立ち上げました。目新しい研究が対象の民間の研究補助金も07年に得て、その研究費でつくった解説地図をメディアに配ると、新聞や在京キー局が少しずつ報じるようになりました。
(2024/02/09 05:00 日経速報ニュースアーカイブ「チャイナタウン探索50年 池袋を「命名」、山下清海さん-地理学者(人間発見)」)
【2008年】
・2008年池袋に<東京中華街構想>が打ち出されるが、地元商店街の反対で頓挫。
http://duan.jp/ikebukuro/zhonghuajie.html
同年8月に開催される北京五輪も見越し、地元商店街の日本人経営者とも連携して街全体の活性化を目指そうという内容です。発起人の胡逸飛さんは1989年の天安門事件前後から増えた新華僑の第1世代で、来日は88年。日本と中国を行き来してフリーランスの広告プロデューサーなどをしている方です。
しかし地元商店街の考え方とすれ違いがあったところに夕刊紙に「地元商店街VS中国系飲食店 池袋中華の乱」という記事が出て、事態が暗転しました。尖閣諸島問題などで反中ムードが広がっていたことも影響し、たびたび排斥運動が発生。ランドマークの食品・雑貨店「陽光城」の破壊が呼びかけられた街宣では、機動隊400人が出動する騒ぎになりました。
池袋チャイナタウンの名付け親の私も排外主義者から名指しで批判されました。当初は怖いと思いましたが、でもネットでそういう書き込みをする人は日ごろおとなしい人なんですよ。そして私の本を丁寧に読んでくれているのが伝わる。それで「むしろありがたいな」と思うようになりましたね。2010年の後半には騒動も収まりました。
(2024/02/09 05:00 日経速報ニュースアーカイブ「チャイナタウン探索50年 池袋を「命名」、山下清海さん-地理学者(人間発見)」)
→「池袋チャイナタウン」という言葉は、この頓挫した<東京中華街構想>を想起するので、地元住民からも中国人オーナも使わず、あまり定着しなかった。
このころはまだ「ガチ中華」の語は存在せず、吉風は<本場の味の中華料理屋>とか<現地味の中華料理屋>と人には説明していた 。
3.2010年代後半、「ガチ中華」の語がメディア進出
【2017年】
四川フェス第一回開催
【四川フェス2017】4.2(日)東京中野を赤くそめる!麻辣革命をおこす! - おいしい四川
【2018年】 ぐるなび みんなのごはん「西川口はガチ中華タウンに進化していた…!現地感ハンパない中華料理が旨すぎて本気で移住を考えています 」記事掲載
https://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/nekota/4717
※吉風が「ガチ中華」の語をWEBで見た初見
【2019年】
池袋に中華料理フードコート友誼食府がOPEN 。
twitterで「早くここで飲みたい 池袋ガチ中華フードコートRT」「池袋のガチ中華フードコート、日本語が全然なくてあまり知らない食べ物ばかりあって完全に旅行に来た感じになって楽しかった」という記載が見られるようになる 。
【2021年】
・11月27日 週刊新潮でガチ中華特集
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1464662567561748480
【2022年】
<1月>
・TV番組グッドモーニングで特集
「【グッドモーニング】池袋に「ガチ中華」の店が続々出店と紹介→「コロナ禍で潰れた店が 外資に乗っ取られているだけ」ネットで批判の声 : まとめダネ! #グッドモーニング #池袋 #ガチ中華 」
https://matomedane.jp/ponzu/page/93824
・ニュースサイト「テレ朝news」で特集
「“ガチ中華”が今人気!衝撃の「見た目」「味付け」」
https://x.com/tv_asahi_news/status/1478614776385503233
なお、山谷剛史氏(中国系ライター)はこれらの報道について
「とまあ「ガチ中華」で検索するとテレビでは「グッドモーニング(テレ朝)」とテレ朝newsが出てくる。中国飯界隈では一応呟かれてはいるけど、言葉を率先して作ってトレンディですなあ。」
https://x.com/YamayaT/status/1479643913019625473
とコメント 。
<6月>
『攻略!東京ディープチャイナ:海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』刊行
4.2022年~2024年:「ガチ中華」の語の普及と定着
【2022年】
<1月>
・番組名不明 友誼食府がTV番組に出る
「いま、TVで池袋のガチ中華料理特集しててハオい。行きてぇ。」
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1508096482246754307
・「東京ガチ中華マップ」公開
東京ガチ中華マップ https://chuka.tokyo/gachi_chuka_map/
<5月> →吉風職場の同僚と四川フェスを初めて見に行にいく
<6月>
・【日本中国白酒協会】 設立
→吉風、6月と9月の白酒イベントに参加
<7月>
・『攻略!東京ディープチャイナ:海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』の新版刊行
<10月>
・10/14安田峰俊twitterコメント
「ガチ中華ブームの弊害のような投稿を見た(客に変な日本人が増えて中国人より多くなると味が落ちるんや…)」
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1580586366475173888
・吉風、
「ガチ中華。昨日集まっていた人々の間では、「ダメなガチ中華」の評価にまで話が及んでいたので、単純に「ガチ中華の店で、現地の味が食べられてありがたい」という段階から一歩進んだ気がしている。
たしかにガチ中華だけど、中華食材屋で買ってきたものを適当に調理した店もないわけではない
なお個人的には「ガチ中華」というより「現地味中華」という方が好き。」
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1585412955428225026
とtweet。
・10/19『クローズアップ現代』(NHK)は、「なぜ急増?“ガチ中華”新時代の日中関係に迫る」 放送
<12月>
・「東京ディープチャイナ『ガチ中華』セレクション」(産学社)刊行
・AERA ガチ中華特集
【2023年】
<1月>
・ウエノデパンダ春節祭開催
東京初!ウエノデ.パンダ春節祭2023開催決定!50料理以上の中華屋台飯が大集合! | 上野中央通り商店会のプレスリリース
→「春節祭のイベントは、福岡、名古屋等ではありましたが、東京ではこれまで開催されていませんでした。」
・岩波の月刊誌『世界』2023年2月号 岩間一弘「螺螄粉(タニシビーフン)とガチ中華:皿の上の中国と日本」」掲載
https://x.https://x.com/sapokachi/status/1617087872221450244
<2月>
週刊新潮 2月2日号 「東京初!春節は「ガチ中華」イベントで乾杯」記事掲載
<3月>
テレビ長崎 2022年流行語大賞ノミネート「ガチ中華」 3日に1度は食べたくなる!? ガチ感MAXな“本場の味”を長崎で
https://www.fnn.jp/articles/-/493804
→この時はガチ中華を「知らないです」とする回答が多い
<5月>
→吉村と職場同僚、四川フェスボランティア参加
<8月>
・日経新聞 8月3日「ブーム衰えぬガチ中華、料理人の奪い合い。四川料理人は中国で月給30万円「円安の日本で働きたくない」【中華ビジネス戦記】」掲載
https://36kr.jp/244556/
・『食フェス3.0 聖地deガチ中華フェスin池袋』開催(「東京ディープチャイナ」主催)
・サントリー「#ガチ中華クリエイターCM」を広報
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1689217363156316161
・日経新聞「日本で世界各国でガチ中華デリバリーアプリが続々と立ち上がる理由」掲載(山谷剛史)
https://36kr.jp/246813/
・吉風
「昨日のだうつん宴会で思ったけど、ガチ中華ブームの次の流れとして、ビリヤニブームというのが確実に来ているのではないかと思った。
宴会参加者14人中3人が家でビリヤニを自作する人であった(それぞれ初対面の参加者)」
https://x.com/syutoyoshikaze/status/1730067359359221837
とtweet。
【2024年】
<1月>
・日経新聞1月2日「ガチ中華、2024年のトレンドは「脱中華」。あの超有名フードコートにも異変」掲載
<2月>
・『東京ディープチャイナ「ガチ中華」セレクションin池袋』(ライフエスコート)電子書籍刊行
<3月>
・ガチ中華で人気「白酒」中国の生産地で見た光景 #東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/740320
<4月>
・川味『Meets Regional』本日発売の5月号「中華の皿」に「ガチ中華のあそびかた」
・「ガチ中華でも町中華でもない、昭和の中流階級がたまに行ってたような「クラシック中華料理店」って都内や首都圏に残ってる?→めっちゃ情報が集まる」togetter.com/li/2346965
<5月>
・吉風、四川フェスで仲良し書店担当。
・NHK「あさイチ」で池袋のガチ中華特集
<8月>
・8/12より池袋にて「ガチ中華の聖地で謎解きゲーム」イベント開催(東京中ディープチャイナ)
<9月>
・吉風、中井のタイヤル族の店をディープチャイナに掲載
<10月>
・銀座の中国語ブックカフェ「単向街書店」で開催したトークイベント「勢い増すガチ中華この先どこへ向かう? ―ガチ中華から浮かび上がる華僑たちの情熱とビジネスー」
<11月>
・吉風、陳家私菜記事執筆
【2025年】
<1月>
・2025年新春イベント企画「いまアツい!ガチ中華の世界」開催予定。
おわりに:友人への回答
整理すると、
2018~21年ごろWEBの中国料理好きアカウントが「ガチ中華」の語を使い始める。
2022年、NHKやTV番組で報道。ユーキャンの流行語にノミネート。ウェブで定着する。
2023年~2024年、ウェブ以外にも定着 。
という流れかと。
いずれ論文か記事にまとめよう。
なお、4.「2022年~2024年:「ガチ中華」の語の普及と定着」では自分のtwilogが資料として役立った。
酒徒吉風twilog 「ガチ中華」
https://twilog.togetter.com/syutoyoshikaze?order=allasc&word=%E3%82%AC%E3%83%81%E4%B8%AD%E8%8F%AF
ご指摘、情報などは、X(twitter)酒徒吉風アカウントまで。広くご意見をいただければ
X(twitter)酒徒吉風
柳田国男に関する注釈2点-「忘れ難い郷里のたべ物」と加藤秀俊による「家永続の願い」批評
1.青空文庫 柳田国男 「忘れ難い郷里のたべ物」注釈
何年か前柳田国男も著作権が切れて、青空文庫に載るようになった。
それを眺めていたら「忘れ難い郷里のたべ物」というタイトルの文が出ていた。柳田翁は食物史にも造詣の深い人であるが、自身の食の好き不好きはあまり書かなかったかはずと思って、開いてみた。
見ると、やはり柳田自身の食の好みでなく、当時の『新岩手人』の記事で「忘れ難い郷里のたべ物」という特集号があったという小文であった。
この小文に「田植コビリの味噌のカマヤギ」というのが出て来るが、これは今の人には注釈がいるだろう。
コビリとは「小昼」のことで、おやつを指す。田植え時の作業のおやつ休憩を「田植コビリ」とよぶ。
参考 『田園の詩』NO.84 「コビリ今昔」 (1998.6.30)
カマヤギはカマヤキともいい、屑米などを団子状にして、蒸かして、中に味噌など餡として詰めたもの。おやつや主食にしたとのこと。
ネットでは雫石のレシピが出ていた。
https://www.pref.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/823/kamayaki.pdf
これによると
かまやきは、形が草刈鎌に似ていることからかまもちとも呼ばれ、作った翌日などに固くなったものを焼いて食べたことからかまやきと呼ばれた。
昔、米は貴重な食料だったので、雫石地方では通称クズ米を共同の水車で粉にして粉餅にして、昭和20年前後は主食として食べていた。昔は味噌のみで食べられ、時には細かく刻んだくるみが入れられた。黒砂糖は大変貴重で、特別な時だけ使われ、大事に食べられた。
現在は昔なつかしいおやつとして食べられ、産直でも販売されている。
とのこと。
私自身も含めて、柳田の文章は注釈をつけねば、もう読めなくなっている。調べたのでメモとして残す。
2.加藤秀俊による「家永続の願い」批評
加藤秀俊データーベースというのがあるのを知る。
この中で、「昭和・平成世相史5 出家と脱家」という文があり、柳田の「家永続の願い」について批判を行っている。
さて、この加藤の文章。「おわりに」では福井県織田町の墓地を見て
死者の名前と戒名を刻んだ高さ三〇センチほどの茶色の素焼きの陶板。それがあちこちに立っているだけなのである。雨露にさらされ、しかもこのあたりは雪もおおいから、あたらしい墓はまっすぐに立っているが古いものは倒れたり、またしぜんに砕かれて土のなかに散乱していた。
人間、「土にかえる」ということばがあるが、まさしくここは「土にかえる」墓地だったのだ。
と感銘を受けて
「この越前の土の墓碑こそが、しぜんで素直なすがたなのではないのか。祖霊はすでに「餓鬼」となり、それを迎えるべき現代人はひたすら「脱家」しつつある。おそらく柳田国男の「家永続の願い」はわずか一世紀の理想、あるいは幻想であるにすぎなかったのである
とまとめている。
これについては、少し説明がいって、この福井県織田町の地域は両墓制の地域である。
両墓制とは、遺骸を埋める埋め墓(ウメバカ)と、供養を行う詣り墓(マイリバカ)の二種を造る墓制の一つである。
だいたい毎年の供養などは、石造の詣り墓で行い、埋め墓は土盛をするか、せいぜい木の卒塔婆を立てるだけ(こでは越前焼を使っているのは少し面白い)で埋葬の後は放置されることが多いとされる。
加藤が見たのはこの埋め墓の方で、なので簡素に「土に還る」墓となっていたのである。当然別に参り墓はあって(大抵、旦那寺の敷地内にある)そこでは、他の地域と同じように先祖を意識した供養が行われているはずである。
『葬送墓制研究集成』を読んだ加藤がこのことを知らなかったとは思えないが、文章の作為として、素朴な埋め墓のみの記述にしたのであろう。
参考 三昧のある風景
http://www.anc-d.u-fukui.ac.jp/~uyo/sanmai/sanmai.html
私が、両墓制について知ったのは高校生の時、新谷尚紀の『両墓制と他界観』を読んでだった。
新谷尚紀『両墓制と他界観』
当時、クトゥルー神話を愛好するいたいけな高校生だった私は、両墓制とクトゥルーというネタを考えて、封印したクトゥルーの墓は実は詣り墓で、遺骸を埋めた捨て墓からクトゥルーが!というトンチキなネタで小説を書こうとしたことがあったのだった。
【2024年5月後半】今月の一日一論文:「「小麦と武蔵野のくらし」 調査報告」「埼玉県内の市販食肉における食中毒細菌の汚染実態調査」「「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」 考」」ほか
【2024年5月後半】今月の一日一論文。
この時期は某大学の面接講義で多摩地域をうろうろ巡検する。 なのでそれに関する論文が多い。
あと後述するが「豚の生肉」tweetで想定外にバズって(炎上して)しまった。
tweetのコメントみてると、ちょっと研究の材料になりそうなので、バズったのは正直想定外だったが、いいこともあったとしよう。
- 【地理学】
- 【地理学】【食文化】
- 川上香 特別展 「小麦と武蔵野のくらし」 調査報告
- 【食文化】
- 榊田希 佐藤実佳ほか 「埼玉県内の市販食肉における食中毒細菌の汚染実態調査」
- 【中国文化】【アニメ・漫画】
- 佐藤幸人 第 17 回 「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」 考――日本企業と台湾企業が手を組んで生み出した新しいエンターテイメント
【2024年5月前半】今月の一日一論文:『世界の羊肉レシピ 食べる!知る!旅する!』『四川料理の旅』『女性の力から歴史をみる』ほか
【2024年5月前半】今月の一日一論文。
この時期はやはり四川フェスに参加できたのが良かった。
四川フェスの「四川フェスなかよし書店」と称して、運営のボランティアスタッフの本を売る担当(私もボランティア)をしたのでした。
設営完了!四川フェス開始です。孔明と貂蝉がお待ちしております#四川フェス #仲良し書店 pic.twitter.com/N3pIsMidMm
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年5月11日
しかも何故かシャンチー(中国将棋)の普及活動のお手伝いをしながら…
シャンチー実際にリアルで指したのは1回しかないのに…幸いシャンチーの強い友人やたまたま通訳ボランティアの杜さんがシャンチー詳しかったりしたので助かったけど、さすがにシャンチーしながら本を売るのは大変でした。あまり水分取らなかったら肉離れも起こすし…
というわけで論文紹介の後半は四川フェスで販売した本の紹介も含みます。
- 【地理学】
- ■吉村信吉 所澤町東方武藏野臺地の地下水, 特に宙水と淺い窪地の成因, 聚落立地との關係
- 【博物館学】【食文化】
- ■于亜、石田曜、張桉菂、施蕾 「中国の博物館における食文化の展示をめぐる一考察 ―民営の博物館を中心に―」
- 【食文化】
- ■茂田井 円「過橋米線のふるさとを訪ねて」
- ■加藤 千洋「中国革命と唐辛子」
- ■櫻田涼子 コピティアム, 多文化社会のごった煮的食文化
- 【武術】
- ■湯浅晃 自由民権運動と武術についての一考察
- 【四川フェス】
伊庭八郎は<剣忍誠>を遣ったか―伊庭八郎、箱根にて片手を失うこと
最近、岡田屋鉄蔵の『MUJIN-無尽』という漫画にハマっている。
「無尽」というと私は研究の都合上、親しい仲間や共同体でお金を融通し合う「頼母子」や「無尽」の方をつい想像してしまうのだが、そうではなく、幕末の剣士、伊庭八郎を漫画にしたものである。
岡田屋氏はその古風なペンネームからもわかるように、江戸趣味が相当に好きなようで、江戸の人情風俗を描くのに長けている。
本作品も伊庭八郎の青春活劇であると同時に、江戸の丁寧な風俗・人情描写・食事の情景の描写を丁寧に描いた作品となっている。*1
さて伊庭八郎、心形刀流の跡取りであり、眉目秀麗の天才剣士。しかし、戊辰戦争で小田原藩の侍に片腕を切られ、五稜郭で若くして自決して死ぬくらいしかその事績を知らなかったので、改めて本漫画で興味を持って、Wikipediaを見てみた。
その中で、伊庭八郎が箱根三枚橋で、小田原藩の侍に片腕を切られるくだりに「心行刀流剣認識」という記述があるのに気が付いた。
更に背後から小田原藩士・高橋藤五郎(鏡心一刀流)に左手首の皮一枚を残して斬られる中、八郎は振り向きざま下方から首へ心行刀流剣認識の一突きで相手を絶命させている。八郎は従者の阪本鎌吉に担がれその場から味方陣地の早雲寺へ逃れる。左腕は途中から先を切断。切断面から二寸程の骨が飛び出ていた八郎は「とんと痛かねえやい」と小刀ですっぱり削り落としたと生き残った阪本が証言。以後、左手は不自由となりながら戦い抜く。
伊庭八郎 - Wikipedia (2024年5月27日 18時7分閲覧)
「心行刀流剣認識」?
心行刀流は「心形刀流」の誤記として、<剣認識>なんて技、心形刀流にあったかしらん?と悩んだ結果、これはたぶん心形刀流の<剣忍誠(けんにんじょう)>の誤記ではないかと思い至った。
心形刀流の<剣忍誠>の技は、心形当流の免許皆伝の門弟、松浦静山(常静子)の『剣攷』では
剣忍誠
此の太刀は敵と相峙(にらみあい)たるときに、敵は陽に構え、我は中道に構えて、位極(くらいづめ)になりて、先動者(さきうごくかた)は敗(まけ)をとるの場に及んで、我忽其気を脱(はなれ)、膝を折(おり)、身を傴(かがめ)、首を低(たれ)、太刀を背(せなか)上に負い、鋒(きっさき)を後(しり)に流し、柄を頭前(あたまさき)に進めて、鋭勢(するどく)敵の手下に冒(いりこみ)、柄を以て其心を撞(く)。(割注 心は胸を謂う)
(剣攷
というように「上段で切り込む敵に対し、下から身をかがめて、柄で胸を突く」技になっている。*2
…うーん、潜り込んでの柄撃ち。片手を斬られた状態で、使う技とは思えない。
せめて柄で突きを入れて、相手を転ばせて、その後止めを刺すというのならまだしも、「一突きで相手を絶命させる」というのは少し無理があるのではないかなと思って少し調べてみた。
まず、伊庭八郎が箱根で片手を斬られたときの状況については、彼の子分、荒井鎌吉の談話記録が残っている。
先生は腰を撃たれ尻餅をつかれましたが其時二三人を斬り倒されました。手を斬られたのは三枚橋*3の上でした。
戸板を載せて引き上げましたが敵が下から烈数(はげしく)撃ちかけます故に湯本の宿へ両側に火をつけて逃げ登り夜の十二時頃に峠に着きました。
(旧幕府3巻8号「史談会記事 伊庭想太郎、荒井鎌吉談」p.41)
とあり、これによると、
撃たれて転んだ際に、二三人を斬ったが、腕を斬った相手高橋藤五郎*4をどうしたかは書いておらず、また伊庭が<剣忍誠>の技を使ったという話は出てきていない。
またこの談話会の別の個所では、伊庭八郎の弟、伊庭想太郎の談話として
又曰く兄の八郎が敵に斬られながら其の敵を切り倒しました時に刀勢が余って岩を斬ったそうです。(中略。その刀は無名で、八郎の弟伊庭武司の息子、金田助太郎海軍中尉の佩刀になっていることが記されている)兄も申しました竹刀の勝負で考える故に、斬れることを心配するが実地には中々よく切れるもので余勢が岩を斬る位だと云いました。
(旧幕府3巻8号「史談会記事 伊庭想太郎、荒井鎌吉談」p.42)
と述べている。
もし柄撃ちの技である<剣忍誠>を遣ったならば「岩を斬る」とはならなかったのではないかと思う。
<剣忍誠>で相手を転ばせたあとのとどめの際に振った刀が岩を斬るというのも考えられるが、それなら少し別の書き方になりそうである。
もう一つ、伊庭八郎の腕を斬った高橋藤五郎については、『小田原市史』では
小田原の徒銃隊に高橋藤五郎という者があって、鏡信一刀流を学んだ男。この時勇戦して敵将伊庭八郎の左腕を斬り落としたが、隊士阪本某*5、これを見て退庁危うしと見て側面より銃を放ったので、高橋は銃丸に貫かれて討ち死にし、伊庭は虎口を脱したのである
小田原市史料 上巻 歴史編 p.374
とし、後に官軍に提出された小田原藩兵の死傷者覚えに「討死 高橋藤五郎」の名前があることを記している。*6
この記述も、史談会での鎌吉の談話とはだいぶ異なっていて、信憑性が下がる部分もあるが*7、少なくとも高橋は<剣忍誠>で斃されたのではないようである。
また、伊庭八郎が片腕を斬られたのち
八郎は従者の阪本鎌吉に担がれその場から味方陣地の早雲寺へ逃れる。左腕は途中から先を切断。切断面から二寸程の骨が飛び出ていた八郎は「とんと痛かねえやい」と小刀ですっぱり削り落としたと生き残った阪本が証言。
と小刀で自ら骨を切った旨が記されているが、やはり史談会記録の鎌吉の談話では
其の晩は畑*8の宿へ行き林さん*9のお医者が先生の腕首のプラプラして居るのを切り落として血を止め、縛り付けなどしました
(旧幕府3巻8号「史談会記事 伊庭想太郎、荒井鎌吉談」p.41)
とあり、そうした証言は見えない。
案ずるに、たぶんどこかの小説かなにかで
「腕を斬られたのち、<剣忍誠>で高橋を斃した」
「とんと痛かねえやい」と小刀ですっぱり削り落とした」と劇的に書いた虚構を、だれかがwikipediaに孫引きして、書いてしまったのだと思う。
このwikipediaの記述の元となった小説についてはまだ見つけられていないが、ひとまず、伊庭八郎の記述を見る方へ、注意喚起として記載をしておく。
一応、様子見てwikipediaに要出典でもマークつけとくか。
*1:伊庭八郎の一の子分でもあり、話を語るもう一人の主人公鎌吉が、料亭鳥八十で鳥出汁ラーメン(作中では鳥南蛮そば)を作りそれを、伊庭たち旗本の若侍が旨い旨いと舌鼓を打つのは、創作と史実のあわいをうまく描いていて、とても面白かった。
*2:同じ心形刀流でも松浦静山(甲州派)と伊庭八郎(宗家)では時代も派も違うので、松浦の記載とは技が多少異なる可能性はあるが、少なくとも、柄をつかった突き技なのではないかと思う。なお、現在残る心形刀流に<剣忍誠>の技が伝わっているかは不明である。心形刀流剣術 江戸時代より伝承の古武道
*4:高橋の流派について、wikipediaでは「鏡心一刀流」とあるが、これも「鏡信一刀流」が正しい
*5:荒井鎌吉のこと。阪本は荒井鎌吉の別姓とされる。
*6:『小田原市史料 上巻 歴史編』p.375 小田原市史料 上巻 歴史編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
*7:さすがに、伊庭の敵を銃で撃ったらそのことを書くであろう
*8:箱根畑宿