■クロックノール(クロキノール)とカロム‐昭和初期の『闘球盤』をめぐって
昭和天皇が興じた遊びとして「クロックノール」というものが昭和天皇実録にあるが、これがどんな遊びなのかわからないという記事が出ている。
「宮内庁は9日、昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。百人一首、木登り、椅子取り−−。実録は昭和天皇の幼少期の遊びを細かく記している。第一次世界大戦下の1917(大正6)年には世相を反映していると思われる「欧洲戦争将棋」などの記述もある。学習院初等科入学前後は「クロックノール」という遊びが少なくとも4回登場するが、どのような遊びなのか、四半世紀かけて実録を作り上げた宮内庁も「分からない」としており、「公開で知っている人が出てくるかもしれない」と謎の解明に期待する。」
毎日新聞 9月9日 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000009-mai-soci
これについて、ネットでは「クロックノール」とは「Crokinole(クロキノール)」ではないかという意見が出ているようである。
<昭和天皇実録>謎の遊び「クロックノール」は卓上ボードゲーム「Crokinole」?
http://thepage.jp/detail/20140909-00000016-wordleaf
宮内庁も分からない謎の遊び「クロックノール」が、あっさりネット上で解決!
http://matome.naver.jp/odai/2141023263681457201
集合知スゲーという感じの記事であるが、これについて一つ疑問がわいてきた。
このクロキノールは、円盤状の台の上で、おはじきに似た駒(クロキノールではディスクと呼ぶ)を指ではじいて、中心の穴と中央にディスクを寄せて点数を競うゲームである。
クロキノール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB
日本では、クロキノールはあまり聞かないが、クロキノールに似たゲームとして、「カロム」というゲームが滋賀県彦根を中心に現在でも行われている。
クロキノールがシャフルボードやカーリングに似たものとすれば、このカロムはビリヤードに近く、やはり盤上で駒(カロムではパックと呼ぶ)を指ではじいて、四隅のポケットに入れることを競うものである。
カロム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%A0
そしてこの、カロムの説明として、
「昭和初期に「闘球盤」(投球盤)という名称でカロムは全国的に普及したが、戦後は彦根市を中心とする地域にしか残らなかった。彦根市には大正時代に使われていたカロム盤が現存する」
ということがよく言われる。
さて、ここで疑問となるのは、昭和初期に流行った「闘球盤」(投球盤)というはカロムスタイルのものであったのだろうか?それとも昭和天皇もたしなんだクロキノールスタイルのものであったか?という点である。
小学館の日本国語大辞典では
闘球盤について
「家庭遊戯用具の一つ。盤の中心に穴があり、周囲から丸い平たい木製の球を指先ではじいて入れるが、盤上にとまっている相手の球をはじき出して争うところからこの名がある。
*続珍太郎日記〔1921〕〈佐々木邦〉六「洪ちゃんは弟の代りに闘球盤(トウキウバン)を買って貰った」
*うりもの屋ごっこ〔1934〕〈塚原健二郎〉「まもなく持ってきたのはおもちゃの闘球盤(トウキウバン)です」
*赤い国の旅人〔1955〕〈火野葦平〉四月二四日「前者には将棋と闘球盤とが四、五台、マージャンはない」」
とクロキノールを意識した書き方となっている
国立国会図書館の<国立国会図書館サーチ>で「闘球盤」を検索すると、いくつか闘球盤が出てくる資料が出てくる。
まず、1939(昭和15)年の第1回文部省美術展覧会では中村不折が「闘球盤」という絵を出展しており、これは裸婦たちが闘球盤に興じる姿を描いたものである。この闘球盤は円形の盤が見えることから、クロキノールであると思われる。
『文部省美術展覧会原色画帖. 第1回』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117208
中勘助の「闘球盤」という随筆では、「タッ!球は柱にあたってはねかえり、からりと穴にはひった」 (『鶴の話』1948所収)
という文がでてくるが、これは柱という表現からあきらかにクロキノールだとわかる。
『鶴の話』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703991
また、世界の遊戯を紹介した本や子ども向けの工作を記した本にも闘球盤はでてくる。
1945(昭和25)年、矢野目源一の『娯樂大鑑 : 東西遊びのいろいろ』では「闘球盤」としてクロキノールが紹介され、1955(昭和30)年の森田久『図解木工作』では楽しい闘球盤として、何重にも釘の柱を打ち付けて、クロキノールに似せた闘球盤が紹介されている。
『娯樂大鑑 : 東西遊びのいろいろ』http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2467494
『図解木工作』http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1623954
いずれも、昭和天皇がクロックノールに興じた学習院初等科入学前後(1908(明治41)年前後)からは、少し後の時代の資料となるが、文献を見る限り、全国的に流行した闘球盤はカロムスタイルではなく、クロキノールスタイルの闘球盤だったと思われる。
この、クロキノールスタイルとカロムスタイルの闘球盤の違いという問題は、なぜ、カロムが彦根という滋賀県の湖東の一地域のみに残っているか、という問題のカギにもなるかもしれない。
※なお、カロムの歴史については、杉原正樹氏が 『カロムロード』という本を出されている。
まだ未読なので、一度読まねば。
『カロムロード』 http://www.amazon.co.jp/dp/4883251152/ref=cm_sw_r_tw_dp_VtTdub1J4DG2Z