『ばくおん』という漫画を読んでいたら、台湾の北投が出てきた。
この漫画、良くある「女子高生+バイク」漫画であるが、よほど作者が台湾にほれ込んだのか、かなり熱心に取材し、台湾のバイクツーリングと観光を丸丸一冊単行本にした、かなりよい台湾ガイド漫画になっている。
台湾好きはこの巻だけでも買うべきかと思う。
さて、この漫画に出てきた北投。これは北投温泉と呼ばれ、日本統治時代から、台北郊外の観光地として整備されてきた温泉地である。
この温泉の歴史も興味深いのだけど、私は、その昔、この北投でとある事件に遭った小説家について調べたことがあった。
武侠小説とは、中華圏の大衆小説の一ジャンルで、明~清代くらいの時代*1を舞台に、「侠」と呼ばれる男(大抵、アウトローであったり、特殊な武術や仙術を習得している)が勧善懲悪や義理のために戦い、あるいは冒険や美女と恋愛をするという大衆小説である。
小説そのものは読んでなくても、『スウォーズマン』(原作:金庸『笑傲江湖』)や『グリーン・デスティニー』(原作:王度廬『臥虎蔵龍』)といった武侠小説を原作にした映画などを見ている人は多いかもしれない。
古龍の小説家として評価や作品の特徴は下記のサイトを見ていただくとして、
この古龍大侠(ファンは敬意をこめてこう呼ぶ)、上記の記事にもあるように
古龍は細かいところに拘りを持たない男だった。小さい頃に両親が離婚し、生活も裕福ではなかったので、大学時代の生活費を稼ぐために小説を書き始め、早くも才能ある若者として頭角を現した。しかし、本人は世間の名誉など気にもしない様子で、小説を書くのはお金のためだと躊躇いなく放言する。酒をこよなく愛する酒豪で、金遣いも非常に豪快な人物だったので、常に金欠状態が続き、そのため名義貸しと代作をさせる行為を頻繁にしていた。
まるで豪放さと酒好きで知られる唐の詩人、李白と同じように、古龍もよく友人を招いて一緒に酒を飲んでは大量に散財し、原稿料を前借して一日で使い切ったりする。4回も結婚しているだけではなく、この「大侠」は数多くの女性と関係を持っているとされ、古龍の各作品の影には1人ずつの女性がいるとも言われる。
と実生活も酒に女にとアウトローな生き方をしていた。
そしてそのアウトローな生活の果てに1980年、北投の温泉旅館*2の吟松閣の207号室で、自身が映画監督も務めていた『新流星胡蝶剣(原作小説は『流星・蝴蝶・剣』)』の打ち上げの宴会をしていた古龍は、たまたま同じ宿に来ていた俳優、柯俊雄の取り巻きと喧嘩となり、右手を錐で刺されて重傷を負ったのだった。
この事件の詳細は上記サイトに詳しいが、古龍は輸血により一命をとりとめるも、輸血した血液が肝炎ウイルスに侵されていたことから、肝炎を発症ししてしまう。
そして、これ以降の古龍の作品は基本代筆となり、また古龍自身も1895年に亡くなってしまう。
私はかねがね、この古龍大侠の運命の転機となった吟松閣を見たいと願っていたのだけど、友人のS君がこの北投温泉に行って、事件のあった吟松閣を見に行った写真を見せてくれた。
S君が吟松閣に行ったのはコロナ禍の前であるが、今回ブログに掲載していいと快諾を得たので、本ブログで、古龍が遭難した吟松閣と北投温泉を紹介しようと思う。
なおS君がたずねた当時、吟松閣はすでに営業を止めていて、建物を改修していたとのことである。
なのでこのブログの写真は、古龍が遭難した吟松閣の最後の姿を映したものになるだろう。
下記サイトによると、2022年の段階では、まだ吟松閣はリノベーション中とのこと。
リノベーションがすんだら、是非私も泊まりに行きたいものである。
taibeimeishi.hatenablog.com
また、北投温泉の歴史についてはこの記事が詳しい。
片倉 佳史「北投温泉を歩く-その1」(『交流』2012.9 No.858)
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2012/9/09-02.pdf
片倉 佳史「北投温泉を歩く-その2」(『交流』2012.11 No.860)
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2012/11/11-02.pdf