【2024年2月後半】今月の一日一論文。今月後半は友人と山梨の石和温泉に遊んだので、それに関する記事がいくつか。
念願の山梨の甲府にぎりを、甲府の魚保という店で喰うことができた。
とても良かったのでまた行きたい。
写真は石和マルスワインの除梗破砕機。ちょうど愛媛県東温市の歴史民俗博物館で、利用方法不明の民具として出ていたので、情報提供した。(下記Togetter参照)
結局これどうなったんだろ。
【食文化】
■#一日一論文 宮尾,茂雄 四川省における泡菜に関する調査
#一日一論文 宮尾,茂雄 四川省における泡菜に関する調査https://t.co/ZT3vWuIRMB四川の漬物、「泡菜」に関する食品技術センターの報告書。
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月15日
・泡菜については3000年以上前から製造がおこなわれていた
・上部に水を張り、嫌気発酵をさせるのが肝となるが、成都と重慶の間に隆昌という町があり、そこの良質な土が陶器の泡菜壜の産地となっている。
・生野菜100kg食塩3~8kg、山椒0.1、赤唐辛子、生姜、白酒それぞれ3kg(黄酒でも可)
・家で作られるものは低塩度(2.1~3.2%)低酸味(pH4.1~4.6)であり漬け込み時間を短時間のうちに作る ・市販品は比較的塩度が高く最大で13.3%、pHも3.3であった。 とする。
泡菜が3000年前からというのは出典を要確認。
黄酒でも可というのは驚いた。 比較的簡単にできるようなので、今年の夏は作ってみたい。ガラス製の泡菜壜も欲しいが、これは慣れてからにしよう。
■#一日一論文 植月学 海のない地域に残る「海魚の食文化」~「魚尻線」がもたらしたもの~(ミツカン 水の風土記 「水の文化 人ネットワーク」)
#一日一論文 植月学 海のない地域に残る「海魚の食文化」~「魚尻線」がもたらしたもの~(ミツカン 水の風土記 「水の文化 人ネットワーク」)https://t.co/uPdbYsQ9bb
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月19日
昨日、甲府で「甲州にぎり」という、ツメ(タレ)でたべる・シャリの量が多いという、江戸前の古いスタイルを残す寿司を食べたので、それに関連して山梨の海魚の食文化の記事を紹介。実は山梨は人口における寿司屋の数が全国1位。マグロの消費量全国2位なのです。
生魚を運べる限界を魚尻線、塩を運べる限界線を塩尻線(長野県の塩尻の地名はこれに由来する)と呼ぶが、甲府は魚尻線にあたり、それにより甲府では魚食文化、特にマグロの消費が盛んになったことを解説する。
内陸の食文化の特徴として「一つのもの(食材)に収斂していく」ことに着目したのは非常に面白い。特別な機会でしか魚が食べられない地域では「魚=ご馳走=マグロ」として固定化されていくとのこと。山梨では貝=アサリという感覚もあるとのこと。また山梨では川魚のご馳走感は薄かったとする。
植月氏は動物考古学が専門。牛馬の歴史や縄文時代の環境・生業が中心。
「内陸における海産物流通 : 甲州の魚食文化」(季刊考古学 (128):2014.8)
ndlsearch.ndl.go.jp/books/R0000000
植月学・宮沢富美恵「甲州における幕末・明治期の海産物消費動向 museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kiyou5
等の論文もあり。
museum.pref.yamanashi.jp/3nd_tenjiannai
と題した企画展があり、非常に良い展示であった。(図録あり)
ミツカンは『水の文化』として「水」に関連した機関紙を出版しており、企業メセナとして好感がもてる。(こういう機関紙出すとこ減ったよね…
■#一日一論文 香山聰 甲州名物ほうとうと甲州味噌
#一日一論文 香山聰 甲州名物ほうとうと甲州味噌https://t.co/9xDzJyyp2n
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月20日
昨日に引き続いて山梨の食文化「ほうとう」をば。「うまいもんだよかぼちゃのほうとう」(山梨の俗諺)
少し古い(平成4年(1992))論文だが、昭和59(1984)年「甲州名物ほうとう」が公正取引委員会に認可、平成2(1990)年新しい甲州味噌が開発されたことを受けて、「 甲州名物ほうとう」 と 「甲州味噌」の歴史的背景と現状を解説したもの。
ほうとうは県外の人からは「うどんの一種」と説明されるが、この論文ではグルテンの変性の有無で、糊食と麵食にきちんと分けており、ほうとうはグルテン変性をしない糊食の麺類であるとしている(うどんは麺食、煮込みうどんやきしめんは糊食)ただし、近年ではあまり判別しにくくなっているとする。
甲州味噌は、先行研究を引き、昭和20年代までは「ふすま」が併用されていたが、昭和48年の調査では僅かに上野原の棡原(ゆずりはら)にのみ残っていることを示す。 また本論文の年代では県内消費のうち約40%が自家醸造の味噌となっており、山梨が味噌の自家醸造の特に盛んな地域であることを示す。
なお、ほうとうに合う味噌の官能試験の結果は、米麦調合味噌が最も合うとなり、伝統的な甲州味噌(米麦調合)が一番合うことを示した。
糊化はあまり意識していなかったが、確かに最近のほうとうはとろみの少ないものが増えている印象。糊食と麺食の違いは要確認。甲州味噌の特徴も、わかりやすい。
棡原で昔自家製味噌づくりは見た記憶があるが、ふすまは使っていたかしらん?棡原風長寿みそというふすま味噌もあったようである。
香山聰氏は諏訪の蔵元「宮坂醸造(真澄で有名)」を設立母体とする「神州一味噌」の工場長。山梨県食品技術研究会の発起人も務める。論文に「伝統と機械化, 省力化」「ふすまみそ」などがある。
■#一日一論文 香山 聡 ふすまみそ
#一日一論文 香山 聡 ふすまみそhttps://t.co/TfKzkc6LRA
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月21日
昨日にひきつづき香山氏の味噌に関する研究から。
ふすま(麦の皮)を使った「棡原風長寿みそ」の開発記とふすまみその特徴、ルーツについてまとめる。
山梨県上野原棡原は一時期長寿の里として知られ、その秘訣は「第2の母乳としてみそ汁をよく飲む」こととされ、特に「ふすま麹」が独特のものとして紹介された。
ふすま味噌は昭和20年代山梨では北巨摩を中心にふすま味噌が作られ、また全国的には長野にもわずかにみられたとする。
また、歴史的には文化15年の長野県大町市で「台所みそ」として出て来る記録が古いが、論文筆者は奈良田のふすま麹の「じんだみそ」などから類推して、武田信玄の時代からふすまが安価なみそとして使われていたが、家庭用のため記録に残りにくかったとする。
地理学の講義で、「じんだ」の語源について説明しているが、奈良田の嘗め味噌の「じんだ」は知らなかったので参考になった。一度現物を確認してみたい。
文中の古守豊甫は医師。棡原の明治期老人が長命であるのに対し、大正・昭和一桁世代が短命で亡くなり「逆さ仏」と呼ばれていることを発見し、昭和43『長寿村・短命化の教訓』を著す。健康・長寿には穀菜食中心の食生活に改めるべきとした。
■#一日一論文 中村 周作 日本の伝統的魚介料理の地域的展開
#一日一論文 中村 周作 日本の伝統的魚介料理の地域的展開 その 1 -農山漁村文化協会『日本の食事シリーズ』記載料理-https://t.co/1Hy4EGcgzj
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月26日
みんな大好き『農山漁村文化協会編『日本の食生活全集』(全 50 巻)のなかで,掲載された料理の中で魚介料理に関わるものを要約しつつ一つ一つ紹介したもの。 論文ではなく資料集だが、こういうのがあるとちょっと確認したいときにとても助かる。
現在、以下が掲載
ちなみに先日のいかにんじん(論文(2) 福島北部盆地 にんじんを千切りにする。するめの足を除いて縦に3つにはさみで切り,それを横に千切りする。にんじんとするめを混ぜ,かめに入れる。鍋で醤油,酒,水を煮合わせて冷まし,これをかめに注ぎ入れる。よく混ぜ合わせ,2,3日で食べられる。
中村周作先生は人文地理学者として宮崎を中心に地理と食文化を研究。「魚と酒菜にまつわる地理学」「日本における伝統的飲食文化の展開とそれらを活用した地域振興」などの論文有り。
また先生が寄稿している『地理』2020年4月号の「飲食文化の地理学」号はとてもおすすめ
【武術】【神風連】
■#一日一論文 大平晃久 負の記憶の景観化-神風連の乱・秋月の乱・萩の乱を事例に
#一日一論文 大平晃久 負の記憶の景観化-神風連の乱・秋月の乱・萩の乱を事例にhttps://t.co/GucUbbDU1I— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月27日
負の記憶としての明治初期の三士族反乱(神風連の乱,秋月の乱,萩の乱)の記念碑・顕彰碑や合葬墓などを事例として、アメリカの歴史地理学者フット(Foote, K.E.)の負の記憶の景観化に基づいて、どのように類型化できるか検討したもの。
フットは負の記憶の景観化について、「聖別」「選別」「復旧」「抹消」の4類型があるとし、例えば神風連の場合は、熊本城内:「選別」,現地以外(桜山神社):「聖別」というように区分し、陸軍側と親神風連側それぞれの対立のメディアとしてモニュメントが用いられたとする。
三士族反乱の記念碑・顕彰碑を細かく分析し、とくに記念碑の少ない秋月の乱と萩の乱についても検討を行ったことは丁寧な研究として評価できる。また景観のなかでの記念・顕彰として、モニュメントがメディアとなるという観点も興味深い。 ただ、神風連は、軍国化のなかでの再評価や、荒木精之・三島由紀夫の活動などにより顕彰化されたものであり、筆者の二項対立的な解釈は少し大雑把に過ぎるのではないかと思う(実は二者は同種かもしれない)
また、宮部鼎蔵之墓をもとに「親神風連側は,自らの正統性を確保するため,宮部ら幕末の志士との連続性を主張する必要があり,連続性を印象づける(桜山神社の)景観整備を進めた」としている。 しかし桜山神社の墓地の形状や配置などをみるに、宮部の墓の扱いは林桜園から繋がる肥後勤皇党の一員としてであり、むしろ墓地は、林桜園との関連性に位置づけられるべきものと私は考えている。(宮部に着目する場合後年、歌碑が立てられた方に着目すべきかもしれない)
フット(Foote, K.E.)『記念碑の語るアメリカ:暴力と追悼の風景』は未読なため、いずれ読もうと思う。なため、いずれ読もうと思う。
大平晃久氏は文化遺産・記憶論と環境認知論を専門とのこと。主に戦跡の記憶と景観について論文がある。
大平 晃久 (Teruhisa Ohira) - マイポータル - researchmap
■#一日一論文 小佐々学 「義犬」 の墓と動物愛護史
#一日一論文 小佐々学 「義犬」 の墓と動物愛護史https://t.co/MzXpIw2DBg— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年2月28日
全国に残る「義犬」(飼主やその仲間のために命がけで行動したり,そのために殉じた犬)を祀る犬塚を調査し義犬の歴史と動物愛護史を整理した論文。
本論文の調査では犬塚は全国百に数十か所あり、それらは「古代資料の犬塚」「伝説・伝承の犬塚」」「史実の犬塚」に分類できるとする。
本論文では生類の憐みの令を「動物のみならず人の保護まで含んだ世界最初の動物保護法」として再評価するが、これについては、さらなる検討を要するものと思われる。
むしろ論文筆者も指摘している「生類憐みの令」以外は「動物愛護的な記述はほとんどない」という点に着目すべきと思われる。
本論文で重要なのは、義犬塚という従来着目されることのなかった塚を取り上げ、網羅的な調査をした点と、義犬と忠犬の語彙の違いに着目し、動物愛護史の中で忠犬ハチ公を位置づけを取り上げた点にある。私が調査している神風連の墓にも義犬「虎」の墓があり、本論文ではこの塚は「欧米の教育法や動物愛護思想の影響が一般に及んでない維新最後の犬塚」として評価されている。
小佐々学氏は獣医師として日本獣医史学会理事長などを務め、獣医史学に関する研究を行う。「義犬華丸ものがたり」などを執筆するとともに、天正遣欧少年使節「福者・中浦ジュリアン」子孫として、小佐々(こざさ)氏のルーツ研究なども行っているとのことである。