酒徒行状記

民俗学と酒など

鹿の胎児(ハラコ)を料理する(4)-「全鹿宴」と鹿料理

承前

 前回「鹿の胎児(ハラコ)を料理する(3)-漢方薬「鹿胎」 - 酒徒行状記」で、中国における鹿のハラコの利用法として、漢方薬として利用と料理方法を確認した。

 今回はハラコだけでなく、中国料理における鹿料理を確認することで、中国における鹿のハラコ食の位置づけを見ていこうと思う。 

2.全鹿宴

 日本の鹿料理に比べると、中国のシカ料理のバリエーションは非常に多く、「全鹿宴」と呼ばれる鹿尽くしの宴会を行う地域もある。

 遼寧省の養鹿業者遼寧珍和園は家庭での大晦日の全鹿宴料理として以下のレシピを掲載している。 

 

 2018年家庭年夜饭菜谱――全鹿宴(2018年、家での大晦日のメニュー)

 鹿肉火锅(鹿肉の火鍋)

 鹿茸鸡汤(鹿茸とチキンのスープ)

 红烧鹿鞭(鹿のペニスの照り焼き)

 火腿扒鹿筋(鹿の筋とハムのとろ煮)

 贡精鹿尾汤(鹿のテールスープ)

 梅花鹿血糕(鹿血の梅模様カステラ)

 清炒鹿肝(鹿レバー炒め)

 牛奶鹿肚(鹿のモツのミルクスープ)

 鹿肾粥(鹿のマメ(腎臓)粥)

 山药炖鹿心(山芋と鹿ハツ(心臓)のトロ煮)

 罐闷鹿腩肉(鹿ばら肉のじっくり煮)

 香辣鹿排(鹿スペアリブの香辣スパイス焼)

2018年夜饭菜谱――全鹿宴より。

 

 これは鹿の養殖業者が鹿の販促をアピールするものであり、実際にこの地域の人々が年越しに必ず全鹿宴を行うものではないが、鹿肉、レバー、腎臓、鹿茸、ペニス、腱、尾、血といった鹿の全身を食材として利用していることがわかる。

 また、1987年の遼寧省瀋陽鳳凰飯店では

 

・坪鹿迎春(鹿肉の冷菜)

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坪鹿迎春(三十年前1987年辽宁名筵之十一——全鹿宴より)

・兰花鹿唇(鹿の唇のとろ煮)

・银花鹿舌(鹿の舌とシロキクラゲの冷菜)

・鹿茸三泥(鹿の袋角と山芋のペーストスープ)

・沈水鹿鞭(鹿のペニスと鶏ハムのスープ)

・猴王闹龙宫(ヤマブシタケと鹿肉のスープ。鹿肉を細工して孫悟空の頭に似せた飾り物を載せていることから、料理名を「猴王、竜宮を閙がす」とする)

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猴王闹龙宫(三十年前1987年辽宁名筵之十一——全鹿宴より)

・芝麻鹿脯(ゴマ風味鹿肉でんぷ)

・辽塔茸参(鹿茸とナマコとニワトリの含め煮。遼寧省錦州市の名勝、遼塔を飾っていることからこの名前を付ける)

・梅鹿三鲜(鹿肉とレバーと白身卵の蒸し揚げ)

・翠饺鹿尾(鹿尾と鶏と豚の翡翠餃子)

・凤凰鹿筋(鹿の筋と魚のすり身和え。鳳凰の形に作る)

https://page.om.qq.com/page/OSpZUFM0Hgz8rRcPJEZ_EIdA0

 

 と非常に豪華な全鹿宴を行っている。

 鳳凰飯店の場合、鹿全体を食材とするとともに、高級料理として唇、舌といった希少部位を利用し、またヤマブシタケ、ナマコといった高級食材と組み合わせた料理が行われている。

 一方、両者を比較すると、鹿茸、鹿尾、鹿筋、鹿鞭と鹿の様々な部位をつかっているなかで、鹿のハラコは料理メニューに含まれていない。

 2例しか比較を行っていないため、

  • ハラコ料理は、一般的な全鹿宴のメニューに本当に含まれないか?(含む事例もあるのではないか?)
  • もし、含まれないならその理由はなぜか?

について、正確な分析はできないが、全鹿宴にハラコ料理が含まれない理由として

  • ハラコが他の部位より入手しづらい(入手できるのは繁殖期のみである。また、猟をしたら必ず獲れるわけではない)
  • 中国においても、鹿のハラコ食は料理メニューとして万人受けするものではない(忌避をする人もある)

 からではないかと推測される。

 以下、「中国においても、鹿のハラコ食は料理メニューとして万人受けするものではないについて」少し検討を進めてみよう。

3.鹿のハラコ料理を嫌う心理

 中国のWEB検索エンジン百度」には「百度知道」という、匿名のユーザの質問に別の匿名のユーザーが答えるサイトがある(yahoo知恵袋と類似のシステムである)。

 その中に「生まれてない子鹿を食べると太るのか?(未出世的鹿仔吃了会让人发胖吗?)」という質問がある。

 別の匿名ユーザの回答は「食べられない。死んだ胎児には毒がある(不能吃,死胎有毒。)」*1「食べるものはたくさんあるのに、なぜハラコを食べなければならないか?(那么多吃的非要吃这个换别的。)」「できない(不能吃。)」

といった回答がなされている。(未出世的鹿仔吃了会让人发胖吗?_百度知道

 

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鹿の胎児食について尋ねる百度知道1(未出世的鹿仔吃了会让人发胖吗?)

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鹿の胎児食について尋ねる百度知道2(未出世的鹿仔吃了会让人发胖吗?)

 質問が一例しかないため、正確な分析はできないが、この質問と回答を見ると、中国においては「鹿のハラコ食は「太る」」という認識がある一方、鹿のハラコ食を毒として忌む人もあることがうかがえる。

 上記はWEBでの一例だが、実際、中華圏においても、地域によって鹿料理への温度差があるようである。

 全鹿宴で見たように中国北部では鹿食が盛んであり、料理のレパートリーも非常に多いが、香港では鹿は中華系食材というより、西洋料理の食材として見られている。

 ジェトロ北海道の報告書では

 

  • 野生動物の肉である鹿肉は、香港では一般的に豚肉や牛肉など他の肉よりも肉質が硬く風味が強いとされるが、体力を増強し身体を温めるために貴重であると考えられている。この点において鹿肉は羊肉と共通するところがある。このため、鹿肉は主に秋冬に消費され、夏季の売上げは限られている。
  • 羊を含む他の肉類と比較すると、香港における鹿肉の消費はまだわずかである。
    2004 年から2006 年上半期における香港での鹿肉消費量は31.2 トンで、これは同期における羊肉の総消費量の0.2%である。
  • 10 年程前の一時期、鹿肉が香港で非常に人気が高いことがあったが、それは長く続かなかった。2003 年に発生したSARS も野生動物の肉に否定的な影響を与えた。
     現在、鹿肉を販売する小売店は非常に少なく、いくつかの中・高級レストランやホテルが特別プロモーション期間やシーズンに鹿肉料理を提供するのみであ
    る。2005 年に香港で消費された鹿肉は16.8 トン(160 万香港ドル)で、羊肉消費量の0.2%にとどまった。
  • また、中華風に調理された鹿肉(炒め物など)のほうが中国人の嗜好によりアピ
    ールするのではないかとの指摘もある。現在のところ、香港のレストランで供さ
    れる鹿肉は常に西洋料理式に調理されている。(日本貿易振興機構ジェトロ
    北海道貿易情報センター2006『香港における鹿肉および鹿角製品に関する調査報告書』

    https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05001369/05001369_001_BUP_0.pdfをもとに筆者が整理。)

 

と香港の人々にとって、鹿料理のニーズはそう高くなく、料理としても伝統な中国料理でなく西洋料理が中心な旨が報告されている。これは香港の人にとって、(一部の漢方薬をのぞいて)鹿料理が伝統的な食文化ではないことを示している。

 また、全日本鹿協会の『日本鹿研究』8号(https://nihon-shika.info/wp-content/themes/deer-society/pdf/shikaKen08.pdf

は台湾研修特集として、台湾の養鹿業者の取材が行われてているが、台湾の養鹿は鹿茸採取が中心で

 

 台湾ではシカ肉を食べる習慣がなくて、観光牧場のBBQで供される肉は豚、鶏、牛などです。台湾では鹿茸採取を終えた20 ~ 30歳以上のオス鹿や、繁殖の役割を終えた20歳くらい以上のメス鹿は、その後終生その牧場で飼い続けられるとのことでした。つまり鹿牧場の農家にとって鹿たちは貴重な鹿茸を生産してくれる大切な家族ということです。(米村洋一2017「台湾研修報告」)

 

と、台湾では鹿料理が一般的でない旨が記載されている。

 

4.「全鹿宴」と鹿料理まとめ

  以上、中国における鹿料理の観点から、ハラコ食の位置づけを検討してみた。

  • 中国北方は鹿食が盛んであり、全鹿宴に見るように、使用する部位や料理のレパートリーも非常に多い。
  • 家庭料理と宴会料理の二件のメニューを比較したが、ハラコ料理については記載がない。
  • 事例が少ないため、正確な分析はできないが、中国においても、鹿のハラコ食は料理メニューとして万人受けしがたいと推測される。
  • 実際、台湾や香港などでは鹿料理そのものが一般的でなく、Web上ではハラコ食について忌避するやり取りを見つけることができた。

 

 前回「 鹿の胎児(ハラコ)を料理する(3)-漢方薬「鹿胎」 - 酒徒行状記 」では、鹿のハラコ食について

  • 中国における鹿のハラコの利用は、婦人病の漢方薬としての側面が強い

 ことを明らかにしたが、鹿料理の観点からも、鹿の胎児は一般的な食材ではなく、むしろ漢方薬の側面が強いことが読み取れる。

 

 では、いよいよ実際に鹿のハラコをどのように料理するのがよいか、料理方法の検討を行いたいと思う。調査で確認されたレシピをもとに、レシピ案を作成し、実際に鹿のハラコ料理をメニューに出している店の方にアドバイスを受けることととする。

 以下「鹿の胎児(ハラコ)を料理する(5)-幡ケ谷龍口酒家の鹿の胎児と蛇のスープ - 酒徒行状記」に続く。

*1:なお、この回答をした人のハンドルネームは「你本来是佛」である。宗教上の理由からこのような回答をしたのかもしれない