世界最強の料理人が死んだ。
エフゲニー・プリゴジンが暗殺されたのである。
はじめに
1980年代、殺人や詐欺などで服役したあと後、1990年にホットドッグチェーン店を開き、食料品チェーン「コントラスト」の共同経営やスペクトラムCJSC(ЗАО«Спектр»)の最高責任者としてカジノなどの事業に参加。
1995年、サンクトペテルブルグで高級レストラン“The Old Customs House” (Staraya Tamozhnya。旧税関)、船上レストラン“New Island.”などを経営し、また同時期、当時サンクトペテルブルグ市長だったウラジーミル・プーチンの知己を得て、政府や軍の食糧などに食料品などを納入するケータリング会社「コンコルド」を設立。
そして2014年民間軍事会社「ワグネル・グループ」を設立。ロシア軍の秘密部隊として、ウクライナ紛争に介入。ドネツクおよびルガンスク人民共和国の分離主義勢力を支援。また2016年にはアメリカ大統領選挙で秘密工作に携わる。
2022年のロシア・ウクライナ戦争では、ワグネル・グループはロシア軍の主力部隊のとして最前線で活動。2023年、ロシア・ウクライナ戦争におけるロシア軍の戦況悪化は、プーチンを取り巻くセルゲイ・ショイグ国防大臣やワレリー・ゲラシモフ参謀総長といった君側の奸のせいであるとして、ワグネルの反乱を起こす。
ワグネルの反乱では民衆の支持を得てロストフ・ナ・ドヌを占領。モスクワまで200kmの地点まで、部隊を侵攻させるが、急遽進軍停止。乱はわずか一日で終わることとなる。
その後、反乱の停戦の仲介を行った、ルカシェンコ大統領のもとベラルーシなどに潜伏。しかし乱の2か月後、プライベートジェットが墜落。墜落の原因は8月24日現在不明だが、地対空ミサイルで撃墜されたとも言われ、暗殺の可能性が高いとされる。
これが現在Wikipediaなどに記載されている彼の生涯であるが、実は「料理人」というのは彼の経歴を隠すカバーストーリであり、本業はサンクトペテルブルクの闇カジノ経営だったとされている。
2014年のロシア・ウクライナ紛争・2022年ロシア・ウクライナ戦争とその中で起きたワグネルの乱については、歴史家が詳細な記述をしてくれるだろうが、私は後世の歴史家があまり注目しないであろう、彼のカバースト―リ―である「料理人」に着目し、彼が経営するレストランはどうであったか、そして彼がなぜ「料理人」というストーリーを作ったのかメモとして記したいと思う。
1.ホットドッグチェーン店
Wikipediaなどによると彼の料理人としての最初の経歴は、1990年義父(または継父)とサンクトベテルブルグで立ち上げたホットドッグチェーン店あるいは屋台に始まる。
このチェーン店がどのようなものであったか、店名などもわからない。
ロシアにおけるホットドッグは、ニキータ・フルシチョフが1959年の渡米からアイデアを持ちかえったことことに始まるとされるが、当時ソ連で食べられていたのは現在,一般的に日本人がイメージするホットドッグ(細長いパンを縦に切り、ソーセージを挟んだもの)とは異なり、“サシースカ・フ・テステ”(ソーセージ入りパン)として、ソーセージにパイ生地またはピザ生地を巻き付けて焼いた、ソーセージパンに近いものであった。
上記記事によると
1990年代になって、企業の私有化と小さなテイクアウトショップの登場により、ようやくホットドッグは一般的となった
とあり、プリコジンのチェーン店でも、現在イメージするようなホットドッグではなく、ソーセージパンに近いホットドッグが提供されていたのではないかと思われる。
ロシアでは現在、Stardogs(Стардогс)というホットドッグのチェーン店があり、このチェーンも1993年創業となっている。
プリコジンのこのホットドッグチェーン店が現在どうなっているかはわからないが、現在、サンクトベテルブルグにはそれらしいチェーンのホットドッグ屋の情報がないこと見ると廃業になったものと思われる。
なお、このホットドッグ経営はカバ―ストーリーの中で、ブリコジンが唯一料理を実際に行った可能性のある部分である
というのも、このホットドッグ経営について、全くの嘘の可能性もあるが、「ホットドッグの屋台で財を成す」という、かなり荒唐無稽な話をカバーストーリーとして作るとは思えず、*1実際に財を成したのは闇カジノであっても、表向きは多少はプリコジン自身もホットドッグを「調理」した可能性もあるのではないかと思われる。
2.高級レストラン“The Old Customs House” (Staraya Tamozhnya。旧税関)
長年、サンクトペテルブルクで最高のレストランとして君臨してきたこのレストランも、近年はその座を追われつつあるが、開放的なレンガ造りの壁、華麗な装飾、完璧に整えられたテーブルなど、"旧税関 "は今なお、思い出に残る夜の街で最高のショーを見せてくれる。鴨胸肉とフォアグラのフライ、白いんげん豆と黒トリュフ添え、黒タラのフィレ肉のサフランとフェンネル添えなど、ロシア料理がいかに洗練されたものであるかを示すようなメニューが用意されている。
「あなたは時代を旅して19世紀のロシア公務員になったと感じています。しかし、本当にハイテクな方法で料理をたくさん食べることができるメニューを読んだら、現実に戻ってきます!分子料理は私を絶対に魅了しました<3それはとても栄養価が高く、とても美味しいので、私は本当に再びそれを試してみたい特別な味です!幸いにも、価格はとても妥当です!」「食べ物自体は優れており、特にシーフードがおすすめです。蒸しボウルで提供される余分なおいしいアイスクリームスクープをお試しください。」
3.船上レストラン“New Island.”
プーチンとプリコジンとの関係の中で、最も重要なレストランがニューアイランドである。
1997年、プリコジンはパリ・セーヌ川のウォーターフロントのレストランに触発されて、やはりキリル・ジミノフとプリゴジンとともに、40万ドルをかけて錆びた古い船を改修し、この船上レストラン“New Island.”を開く。
プーチンは海外の賓客を招くときはこのレストランを使用しており、フランスのシラク大統領、ジョージ・W・ブッシュ米国大統領、また日本の森喜朗首相などもここでプーチンと食事をしている。
トリップアドバイザーによると、シーフードが名物であり、
素晴らしいサービング。美味しくてオリジナル。料理は伝統的ではありませんが、ロシア料理として様式化されています。企業が指導しているため、高価です。
というコメントが寄せられている。 伝統的にとらわれない、今風なロシア料理を出していたのではないかと思われる。
この“New Island.”は現在は廃業しており、今は船を係留していた杭のみが残るという。
なお前述の広瀬陽子氏の記事によると 「ブリゴジン本人がレストラン産業に参入した時、ワインのスペシャリストが「ソムリエ」と呼ばれることすら知らなかったと白状している」 とあり、「料理人」と呼ばれているが、ブリコジンはあくまでオーナー業であり、実際シェフの経験はほとんどなかったことがうかがえる(あっても多少ホットドッグを焼いたくらい?)
4.サイバーフロントZのカフェ
ブリコジンの経歴には出てこないが、彼が経営する謎のカフェの記事を見つけた。 このカフェは、“New Island.”が係留されていた地点の付近にあり
目と鼻の先にある同じ通りの25番地に、最近、週末の夜だけ開く「カフェ」がオープンした。
一面ガラス張りのカフェだが、目立った看板はない。ガラスもブラインドが完全に下ろされ、店内がのぞけないようになっている。
人を寄せ付けないたたずまいにもかかわらず、土曜日の夜6時を過ぎると、一人、また一人と吸い込まれていくように、カフェに入っていく。
とのことである。
このカフェはワグネルのプロパガンダ組織サイバーフロントZが主催しており、「バイデンの嫉妬」(ハンバーガー)、「NATOの敵」(チーズバーガー)といった名前のメニューが供されるらしい。 今週あたり追悼イベントなどがおこなわれるのではないだろうか?news.tv-asahi.co.jp
5.まとめ―料理人としてのブリコジン
以上、ブリコジンが「プーチンの料理人」と呼ばれるきっかけとなった、彼のレストランを見てきた。
彼自身がどの程度、実際に料理ができたかは疑わしい(せいぜい多少ホットドッグが作れるくらい?それも怪しい)が、政商として繁盛させる料理店の経営者としての才覚は高かったと思われる。
また、ホットドッグ屋台の経営というカバーストーリーについては、エカチェリーナ1世のもとで権勢をふるったアレクサンドル・ダニーロヴィチ・メーンシコフの逸話の影響も考えられる。
メーンシコフは貧しい馬丁の子として生まれ、モスクワでピロシキ売りをしていたが、ピョートル1世と出会い、趣味の軍事教練に一兵士として参加し寵臣となる。のちにエカテリーナ1世からも寵愛を受け、政治家そして軍人として大元帥の地位まで上り詰め、エカテリーナ1世の治世ではロシアの実権をにぎる。
ブリコジンはこのメンシコフの経歴にあやかって、ホットドッグ屋台の経営という経歴(そしてのちに出世して軍人となる)を、自分のカバーストーリーに盛り込んだのではないかとも考えられる。 caramel24c.exblog.jp
*1:嘘ならもう少し信憑性のありそうな話を作る。また完全に架空の店で、しかも繁盛したという、カバーストーリーを作ると、地元住民から「そんなホットドッグ屋聞いたことはない」と嘘が見抜かれる可能性も出てくる。