酒徒行状記

民俗学と酒など

鏡のような店

 所用があって、初めて都立大学へ行った。
 本当の都立大学ではなく、東急東横線の駅の方の都立大学駅である。
 用事が済んだ後、まだ6時過ぎだったので、駅前をぶらぶらと散歩してみた。
 「初めて来た町だ、手元は不如意だが、軽くビール一杯を呑んで記念にするのも面白い」と安そうな飲み屋を探す。
 軽いつまみと一杯のビールで済ますのだから、安げな焼き鳥屋なんかがいい。予算は1000円、高くて1500円くらいか。
 駅前は東横線おなじみの東急ストアーや、コンビ二が目立つ。あと何故か薬局が目に付く。薬局が併設されたローソンをはじめて見た。飲み屋街はそんなに大きくないものの、高架に沿う形で何本か飲み屋小路がある。面白いのは高架下が小さなショッピングモールになっていて、1階が雑貨屋等の小売店、二階が飲み屋街になっている。
 駅のすぐそばに、レモンハートという焼き鳥屋を見つけた。焼き鳥屋がラムを呑ませるのかしらんと、ちょっと見てみると、立ち飲みの店で、泡盛なんかがセールになっている。
 値段も手ごろだしちょっと気を魅かれたが、すこし疲れていた私は、なるべく席のある所で呑みたいと思い、さらに店を探した。
 途中で見つけた古本屋を物色したり、コンビニで立ち読みしたりと駅前をうろつくこと20分。焼き鳥H(仮名)という名前の焼き鳥屋を見つけた。 
 間口は広いが、奥行きは狭い。カウンターだけの店のようだ。
 茶色い暖簾は清潔に洗濯されているのだろう、年季を感じるが、しわひとつなくピシッとかけられている。引き戸にはお品書きの短冊は貼っていない。清潔そうな店構えで、これはよさげな店だと見当をつけた
 黒板の一つも外に出していてもおかしくない店構えだが、出ていなかった。
 きっとまだ時間も早いので品書きを出していないんだろうと思いつつ、暖簾をくぐったのが、間違いであった。


 引き戸を開けてまず見えたのは予想通りのカウンターであった。
 顔を上げた、主人と女将さんと目が合う。何故か一瞬、向こうの目に動揺の色が走った。
  他に入っている客を見ると、ひどく仕立てのいい重厚なスーツを来た、中年の親父二人組のみであった。
 普通のサラリーマンというより、ホテルマンか企業の重役といった風情である。きれいに盛り付けられた野菜料理を食べている。和食の向付のようだ。
 何を食べてるのかしらんと思って、お品書きを探したが、壁には「シロ80円・タン80円・砂肝80円…」と焼き鳥の値段しか書いておらず、流れているBGMはジャズで、照明もカウンターバーを意識したようなつくりになっている。
 −やられた、これは焼き鳥屋じゃない。コース専門店か和食の高級店だ。−
 焼き鳥屋はちょっといい店でもそんなに高いことはない。一本の単価が安いので、少し高めな店でも飲む量と食べる量を調整すれば、安く切り上げることができる。
 しかしこういったコース専門店や和食の店で、品書きがないのは危険だ。一品は主人の講釈つきで1000円からで、大ジョッキのビールが出ることはなく布製のコースターを敷いたグラスで一杯750円だ。ほら、主人が客に「これは久世ナスを・・・」と講釈を始めた。


 動揺の色を瞬時に隠した女将さんのいらっしゃいませを聞きながら、席に着く。
 隣の客の重役めいた格好に比べ、こっちはジーンズ地の半袖シャツにチノパンにリュックだ。こういった格好の客は来ない店のようだ。
 とりあえず、値段の唯一わかっている焼き鳥とビールを頼む。
  こういったTシャツにチノパンにリュックの客は来ないのだろう、店の主人と女将さんは愛想のひとつもなく、二人の客にかかりっきりだ
 愛想もなく、ビールと焼き鳥が出される。砂肝はこりこりとして小ぶりだが旨い。シロもしっかりと肉の味がする。しかし落ち着かない。
 ビールが空いたところで、こちらは精一杯の愛想笑いをしながら女将さんにメニューを尋ねてみた。
 「えっと、お酒をください。あと…焼き鳥以外のメニューは?コースですか?」
 「いえ、コースじゃありませんよ。ウチはメニューは置いてないんですよ。でもなんでもできますので、仰って下さい。」
 なんでもってたって、困る。メニューも値段もないんじゃ。お勧めくらいいってくれ。
 「そうですか。うーん。あんまりお腹はすいてないので…お漬物みたいな軽いものはありますか?」
 これは、嘘である。腹はひどく減っていた。ましてや隣は二品目のふぐの白子だかなんかえらく旨そうなものを食べているのである。
 「あー、そういうのはないんです。」
 あっさり、切られた。
 「そうですか、じゃあお酒だけで…」
 結局、焼き鳥三本とビール一杯・日本酒1本で逃げるようにして店を出た。

なんとも晴れない気持ちのまま、店を出ると、なんと、同じ名前の店がほんの50mくらい離れたところにあったのだ。
 さっきの店は焼き鳥Hだったが、こっちは食事処Hであった。
 さっきの店と違い、黒板も出ている。
 納豆定食450円。アラ定食700円…
 白いのれんも掛かっているが、幾分、汚れて安く見える。中を覗くと店内もどことなく汚い。さっきの店とは極北である。でも値段が明記してあるのは、ひどく頼もしく見える。
 意を決して、店に入り、一番安い納豆定食と菊正宗を頼む。
 味は普通であったが、納豆以外に海苔や卵、味噌汁がついて、食いではあった。
 黒板には書いてないが、魚の煮付けなんかがお惣菜形式でおかれ、そっちを頼めばよかった。他のお客さん−同じ年頃20〜30くらいの若者が多い−もそれを頼んでいる。
 親父に同じ名前の理由を尋ねると、今は店の経営者は違うが、昔の店のオーナーが同じで、そのときのオーナーが、経営者は変わってもHの名前は残すよう店に伝えたのであった。
 親父の言ではあそこは、「一見さんはあんまり入れてもらえないんだがなあ。一万円はかっかるよー」とのことであった。
 
 後でネットで店を調べると、初めのHは焼き鳥と店名には書いてあるものの、おすすめはふぐ料理であった。
 2軒目はネットには商店街名簿の名前しか出ていなかった。
 なんとも不思議な鏡のような正反対の店であった。