酒徒行状記

民俗学と酒など

土肥の湯

 土肥は温泉町としても有名である。わきの浜も掛け流しの良い湯であった。土肥ではこの民宿の湯と、近くの共同浴場「弁天の湯」に入った。両者とも少し熱めで激しい感じの湯であったが、その分湯の効果も激しそうでなかなかに気持ちの良い湯であった。

 ところで、弁天の湯の名前は近くに「弁天神社」があることから来ているのだが、境内の中に「いるか供養の碑」というのがあった。つい最近まで(20〜30年位前まで)よく、いるかが浜に来ていたという。
 いるかの食べ方としては、砂糖醤油で煮付ける他に、干して干物のようにして食べるというのがあるらしい。少し値段が張るが、今でもスーパーなどで売っていると聞いたので探したものの、残念ながら、見つけられなかった。

 あと、土肥の湯で面白かったのは「まぶ湯」である。
 まぶ湯というのは土肥の安楽寺という寺の境内に湧き出る温泉である。
 まぶ湯の「まぶ」に鉱山の「鉱」の意味らしく、境内の由来書きにはこんな風に書いてある

 「鉱湯(まぶゆ)の由来
 慶長十五年(一六一〇)安楽寺の山に黄金(金鉱)ある由、公よりお使いがあり、間部彦十この岩窟より金鉱を採掘せしところ、偶々当寺住職家翁隣仙大和尚病を患い、当寺に奉安の薬師如来尊に二十一日間病平癒の祈願し、満願の夢に「汝にいで湯を授けんとお告げがあり、夢さめて均衡の岩間より霊湯湧出するを知る。為めに採金成し難くこれを止め住持薬師如来尊を拝しつつしみ浴せしに病たちまちに癒ゆ。しかして諸々の病にも霊験あるとて村人は申すに及ばず、遠近をとわず老若男女夜となく昼となく浴みす。この湯を名づけて「鉱の湯」「医王泉」「こがね湯」とも言う。吉祥山 安楽寺 住持 謹白」

 要は金鉱を掘ろうとしたら、湯が湧いたというのが起源であるようだ。「公より使いが」の公が誰を指すか分からないが、間部彦十ってのは鉱山師だろう。彼が金鉱を掘ってたら、湯が出てきて、住職がそれに入ると病気が癒えたという話である。
 参観料150円を払う際に住職に直接話を聞くことが出来たのだが、実際に近年まで霊験を聞いた客が良く来ていて、昭和38年の狩野川台風の翌年の台風による洪水で温泉が埋まるまでは、温泉脇に湯上りの涼み台が川につくられていたようである。なお、今は温泉も掘り出され、湯船もあって入浴できるようにはなっているが、近年入浴客が増えすぎて寺で捌ききれなくなったので、参観だけに限っているとの事である。
 
 実際中に入ってみると、100mくらいの坑道の入り口に湯船が置かれている。台風の後、場所を境内よりにずらしたということなので、昔がどのようなっていたかはわからないが、薄暗い洞窟内で湯がこんこんと湧いている様は、一見の価値がある。
 洞窟の奥には病と子授けに霊験があらたかだという神社が祭られていて、また神社脇には家族用の湯が沸いている空間があった。また、入り口の湯船の隅には一体の地蔵菩薩が安置されていて、後で観光のパンフレットを見たところ、自分の治して欲しい体の部位に温泉の湯を掛けると、病が治ると言われているらしい。
 但し、今は病気平癒というよりも、いつのまにか子授けの効能の方が有名になっていて、洞窟入り口の絵馬は全て、「元気な赤ちゃんができますように」などと書いた子授け祈願の絵馬であった。なかには「体外受精が成功しますように」といった真剣な絵馬もあった。

 他の土肥の温泉と較べると、湯の温度は高くないように思われた。これは洞窟の中がひやっとしていたからかもしれない。
 手で掬って一口舐めてみたが、無味無臭でさらっとしている、手触りもするっとすべるような感じで、入ったら芯からあったまりそうな湯であった。
 独身者ゆえ子授けの霊験は今はいらないが、ぜひ機会があったら湯に入ってみたいものである。