矢作俊彦のロング・グッドバイ(THE WRONG GOODBYE)を読む。
タイトルからもわかるように、レイモンド・チャンドラーの名作『長いお別れ』(原題『Long goodbye』)のオマージュである。
チャンドラーの『長いお別れ』は昔から私の愛読書の一つであったが(それこそ、バーでの一杯目は必ずギムレットを頼むくらいに。さすがに「ギムレットには早すぎる」とは言ったことはないけれども)、矢作俊彦のこの作品は前から気になりつつ、読んでいなかった。
読んでみると全編、、
・主人公と酔っ払った男との突然の出会い
・男は非常にダメな人間だが、主人公は友情を覚える(『長いお別れ』のマーロウとテリー:『ロング・グッドバイ』のニ村とビリー)
・友情の象徴としての酒(『長いお別れ』のギムレット:『ロング・グッドバイ』のフローズンダイキリ)
・殺人を犯した(犯したとみなされる)男の逃亡を手伝う主人公
・主人公のみが男は犯人ではないと信じ、調査を続けるが壁に突き当たる
・いきづまる主人公に別の事件の依頼が来る
・別の事件を調査するうちに、男の事件との関連が浮かび上がる
・調査の妨害をするマフィア。マフィアはどうも男に戦争で助けられたらしい
・あきらかになる事件の真相。それに伴う、男と主人公の別れ
という進行や小道具立てが、意図的に『長いお別れ』をなぞっていて、チャンドラーファンとしては「おお、ここは、チャンドラーのあのシーンだ」と嬉しいものがあった。
特に、作中に出てくるメキシコのオクタトロンは、『長いお別れ』でテリー・レノックスが姿を隠したところだが、このマイナーな地名が出てきたときは、「おおー、作者、読み込んでるなあ」と声を上げてしまった。
なお、ストーリーの構成が同じであっても、ちゃんと矢作独自の作品になっているのは、作者の腕前の高さだ。特に事件の複雑さは、チャンドラーよりも複雑なミステリとなっている。(以前読んだ生島治郎の『死はひそやかに歩く』の方が、ストーリーを直接真似てなくとも、むしろチャンドラーの作品の雰囲気に近い気がする。)
ネックとしては、矢作が書きたかったベトナム戦争中・ベトナム戦争後の横須賀の雰囲気(それを回顧する気分)が、私があまり60年代を知らないため、イメージがつかみにくく、主人公たちに同調できなかった。
今のところ一読しただけなので、もう少し時間を置いて再読し、60年代の横須賀に浸ってみようと思う。
ちなみに今回の日記のタイトルのにある二杯のフローズンダイキリは、作中の重要なモチーフ。読んでて呑みたくなったが、この季節じゃ出してくれるとこも少なさなさそうだ。