ここのところ4、5日、胃腸炎でくたばっている。
幸い新型コロナではなかったので良かったが、病を得ると気が弱るせいなのか、少し小康を得ると、床についたまま、最近愛用のkindleで読み易い本ばかりを読んでは寝てを繰り返していた。
その中に、むかし読んだ南條竹則先生の『ギョウザとわたし―餃子和我』(惑星と口笛ブックス)
ギョウザとわたし: 餃子和我 | 南條竹則 | 文学・評論 | Kindleストア | Amazon
があるのに気付いた。これは普段、紙の本を中心に出版される南條先生としては珍しく、電子出版のみで出版された本なので、あまり読まれた方も少ないかもしれない。
これを読み返すと、楊州飯店の記憶がやはり描かれており、このblogで紹介している楊州飯店の食単についても記載がある。
正直、私如きが縷々書き連ねるよりも、上記の本を読む方がよっぽど料理の味も店の風情も伝わると思うが、書きさした手前、そして南條竹則ファン兼揚州飯店のファンとして雑文乱文をお許しねがいたい。
そして、また南條先生も別の本で
(過去に良かった記憶がないという人は)道ばたに宝石がころがっていても見過ごす人間のように、自分が「素晴らしい昨日」を持っているのに気がつかないだけなのではなかろうか。 ほんとうに、鉦や太鼓で探しまわっても見つからねば、しかたがない。だが、もう一度良く探してみてはどうだろう?(南條竹則『人生はうしろ向きに』集英社新書)
Amazon.co.jp: 人生はうしろ向きに (集英社新書) eBook: 南條竹則: Kindleストア
という一文を書かれている。
わたしも、その教えに従って、今は亡き名店の記憶という「素晴らしい昨日」を書いて、落ち込んだ心の慰めとしたい。
前書きがいささか長くなったが、今回は鶏鴨蛋の部から。
日本語だと卵料理は卵の一字であるが、ちゃんと鶏と鴨の卵と分けて書いているのは面白い。
当時、見落としていたが、33.鴨蛋蒸肉餅は文字面だけでもおいしそうである。
この鴨蛋は翻訳では「アヒルの塩玉子」とされているので、前菜でもあった鹹蛋xiándànであろう。私は鹹蛋をよく前菜でつまんでいたせいか、鴨蛋蒸肉餅の方は食い損ねてしまった。残念なことだ。
卵料理では、南條氏のエッセイに出てきた「無心蛋」というのを食ってみたかったが、残念ながらこれは宴会用のスペシャルメニューなので私は食うことができなかった。(宴会の時にお願いすれば作ってもらえたと思うが、まだあの頃の私は「これを作ってください」という勇気がなかった。)
無心蛋というのはゆで卵のようだけど、白身しかない料理とのこと。一度食べてみたいものだ。
次は豆腐・蔬菜の部。
このメニューを見てもわかるのだが、一つの野菜に対してすごく種類が多いと思いません?
例えばホーレン草料理は5種類であるし、ナス料理にいたっては7種類である。
聞いた話では楊氏は近くに家庭菜園を持っており、それを材料に料理していたとのこと。なので旬の時期には、その野菜料理の定食がおいしくしかも安価で食べられたのである。
旬の安価な定食は、厨房から見て店の右側、円形の宴会卓の後ろの黒板にいつも書かれていた。
曰く、「怪味茄子定食、紅焼茄子、●●茄子定食…」と旬の野菜定食がずらりとかかれ、しかも全て500円であった。
私が一時期真剣に、中野から小岩への引っ越しを考えたのも、この黒板のせいであった。「毎晩ここの定食が食えれば、口も幸せだし、財布にも優しいだろう」と考えたためである。残念なことに小岩への引っ越しは叶わなかったが、この黒板メニューは、この店の一大特徴であると思っている。
さて、豆腐・蔬菜の部の記憶であるが、ここに書かれている豆腐料理の記憶は少ない。少なくとも家常豆腐や麻婆豆腐はたべてない。また野菜料理も39.菠菜炒蛋(ホーレン草と卵の炒め)、45.韮菜炒肉菜(韮と肉炒め)といったものも食った記憶がない。
たぶん、この店では料理の種類が多いので、ほかの中華料理屋でもありそうなメニューは避けて、珍しいものばかりを選んで頼んでいたせいだと思う。
今から思えば楊さんの麻婆豆腐は食ってみるべきであったし、ニラ卵なんかもきっと美味しかったろう。若かったとはいえ新奇なものばかり求めていたのは、私の悪い癖であった。
食べたもので覚えているのは次の料理である
- 40.翡翠白玉(ホーレン草と豆腐の炒め)
これは、南條氏の本でよく書かれていたエピソードのある料理で、店で見かけたら是非食べたいと思った料理である。
「時の皇帝が珍味佳肴に飽いて、何か作れと命じる。料理人は苦心惨憺して料理を作るがどれも皇帝のお気に召さない。いよいよこまった料理人は最後の手段で、ほうれん草の豆腐炒めという庶民的な手抜き料理を出したら、お気に召す。
皇帝より「気に入った。この料理の名前は何じゃ」とご下問があるが、まさか「ほうれん草の豆腐炒めです」とは言えない。とっさに「翡翠白玉」ですと答えたら、その名と共にさらに料理を嘉せられた。」
今、手元に本がないので、正確さに欠くがこんな感じのエピソードであったはず。
初めて店に行ったとき「おお、これが南條先生の本に出てた翡翠白玉か」と興奮して食べたはずだが、あれから10何年たった今、その味があまり思い出せない。
たぶん翡翠白玉が食べられたことに感動してしまい、味を記憶するのを忘れてしまったのだと思う。もったいないことだ。
- 54.怪味茄子(かいみナス)
怪味についてはすでに書いたが、怪味だれが鶏と茄子どっちが合うかは悩ましい問題である。
個人的には茄子が怪味たれを吸った、こちらの方が好きな味であった。これをご飯にと合わせる定食は、不思議なくらいにご飯が進んだものであった。
当時20代の私でも食いきれるかしらんと不安になる量の白飯が、不思議と片付いてしまうのは、この怪味茄子の魔法であった。
- 55.魚露茄子(ナスの魚醬炒め)
楊さんは魚醬を使うのも天下一品であった。この店の名物料理としては魚醬チャーハンを挙げる人も多いが、こちらも捨てがたい。
魚醬というとタイ料理のナンプラーをすぐ思い浮かべるが、あれとは少し違う香で甘みと香ばしさがあるたれであった。
最近、池袋の友誼食府で中国の「魚露」が売られているのを見つけた。あれを使えば、もしかしたらこの味に近づけられるのかもしれない。
- 58.草菇白果(ぎんなんとふくろ茸の炒め)
蔬菜の部で一番、もっとも記憶に残るのがこの料理である。
フクロダケとはうずらの卵位の大きさの白い茸で、柄をちょうど丸く袋状にくるむ形で生えてくる茸である。
近年は群馬で国産のものも売られるようになっているようだが、楊さんのころは輸入物の水煮缶を使っていたはずだ。
このキノコを縦に二つに切り、金色のギンナンと塩味のうま煮にする料理である。
少しとろみのついた塩味の汁がフクロタケのちょうどフクロダケの袋にからまり、キノコのクシュクシュとした食感とあわさって、なんとも高級料理という感じのものであった。
これをちびちびつまみ、少しキノコの食感に飽きたら今度はギンナンをつまむ。ギンナンのほこほこしたとこをいただいたら、紹興酒で口を洗って、フクロダケに戻る。
珍しい食材をつかっているせいか、ほかの蔬菜料理と比べると倍以上の値段がするが、不思議と宴席料理にはかなりの確率でこれが出された。
実際、うす淡い塩だれに浮かぶ丸いキノコと黄金色のギンナンの組み合わせは宴席の幸福感をさらに増してくれる皿だった。
きっと楊氏のスペシャリテのひとつだったのだろう。
こう書きながら、実はこの店以外で、フクロタケの中華を食ったことがないことに気づきました。
もし(そんなに高くなくて)おいしいフクロタケの料理を出す店があれば、ご教示くださるとうれしいです。
追記 2005年に店を訪れた時の記事があった。
ここで、今回取り上げた怪味茄子定食の写真が残っていた。ガラケーで撮った小さい写真だが、なんとも懐かしい写真である。