酒徒行状記

民俗学と酒など

小さな中国のお針子

 ダイ・シージェイの『中国の小さなお針子』を観る。
 文革時代、共産主義の「再教育」のために、四川の農村に送られた二人の青年。一人は医者の息子ルオともう一人はバイオリンの腕がある馬。
 村長を初めとする村人との対立や、環境の極端な変化、過酷な鉱山労働のなかでも二人はなんとか村に溶け込み、近くの村から通ってくる仕立て屋の娘と出会う。
 文盲な娘に文学の愉しみを教えようとするバイオリン弾きの馬青年。
 同じように再教育されている一人の青年が、外国小説を持っていることを知った二人は、彼から本を奪取し、それを娘に読み聞かせる。娘はバルザックを好み、次第に外の世界へ憧れる。
 やがて、娘はルオとつきあうようになるが、妊娠・中絶を経て、娘は村を出て行く。それは青年達が読み聞かせた村以外の世界、少女にとってはバルザックが教えた世界への旅立ちであった。
 その後、文革も終わり、二人の青年も功成り名を遂げる。
 三峡ダム建設により、かつての村が水没することを知った馬は村を訪ねるが、娘は村には帰ってはいなかった。ルオに尋ねたところルオも以前に娘を探しており、深セン[土+川]で目撃されたのが最後だという。
 ルオの調査のビデオを見ながら二人は、かつて青春時代を送った村に思いを馳せるのであった
 
 ストーリーは以上だが、面白かったのは、やはり中国の山村部の生活と文革当時の慣習である。
 全ての移動手段を人力によらなければならない山間地の険しさ。目覚し時計もバイオリンも知らない村人。
 ベートーベンのソナタブルジョアとみなされるため「毛沢東を想って」と偽ると、よろこんで聞きほれる村長「彼(ベートーベン)はいつも毛沢東を想っておる」というセリフには笑ってしまった。
 一方、主人公二人の青年の外国文学への渇望もすさまじい。
 外国文学を持っていると聞いて、盗みに入る二人、それを朝まで読みふける様子。バルザックを毛皮の裏に書き付ける様子。
 この外国文学への渇望は農村部のみならず、全土でのことのようで外国文学が中絶の手術代にさえなりかけるのだ。

 なお、この映画のように、村の住民と恋愛が芽生えるというのは実際にあったようで、南條竹則の『中華満喫』にもモンゴルに「下放(シアホア:再教育のため都市部の住民が地方に送られること)」された人物が、「つらいこともあったが、農村部では男性が出稼ぎにいってしまって村にいないため、都市部から来た若者はモテた」という話をするエピソードがある。
 
 文革の苦労というのは私にはなかなか想像は出来ないが、美しい映像と中国農村部の貧しさが同居している画面を見ると、原作者・監督にとって、文革はある種のノスタルジックさを感じるものなのかもしれない。