酒徒行状記

民俗学と酒など

神道無念流は「しんとう」か「しんどう」か

 古武術の研究者で小佐野淳という人物がいる。
 古武術の研究者であり、自身も武道家として著名な人物であるが、氏のブログの記載ので一つに気になった点があったので記す。
 小佐野氏は、剣術流派である神道無念流の読みについて、「しんとうむねんりゅう」であり、「しんどうむねんりゅう」とは決して読まないと自身のブログで繰り返し述べている。

 神道無念流講演会(国際水月塾武術協会)
 http://japanbujut.exblog.jp/26674659/
 「こともあろうに流儀名を 「しんどうむねんりゅう」 と言っている。これでは武術が正しく伝わるはずがない。
わが国の長い伝統の中で神道を 「しんどう」 と読んだことは一度もない。」

 さて、 この「神道」という語であるが、たしかに、日本国語大辞典でも「しんとう」という読みしか採用しておらず、また剣術流派も「香取神道流(かとりしんとうりゅう)」「神道一心流(しんとういっしんりゅう)」などと言うように、清音で読むのが一般的である。

 ただ、「神道者」というように複合語になると、「しんどう」と濁音で読む場合があったようである。
 日本国語大辞典で「神道者」を引くと「しんとうぢゃ」という読みに加えて、「しんとうしゃ」「しんどうじゃ」とも読むことがでている。

 神道者(日本国語大辞典
 江戸時代、京都白川家または吉田家の配下で、神主の服装をして他人の家の門に立ち、おはらいをしたりお礼を配ったりして回り、布施を受ける者。神道乞食。
黄表紙・色男十人三文〔1787〕「あの人は神道(シンダウ)ぢゃか知らん、鈴を落して来たのだらう」
滑稽本浮世床〔1813〜23〕初・上「神道者(シンダウジャ)は店賃の高天原に三十日(みそか)の大祓を苦に病(やみ)」

とシンダウ(現代仮名遣いだとシンドウ)と読む例が紹介されている。

 もうひとつは、佐渡に残る「片山心慟流」である。
 白刃保存会
 http://toji.life.coocan.jp/shiraha.html#

 佐渡の戸地集落では、「白刃」と呼ばれる、奉納演武の芸能が残っている。
 この白刃はもとは「片山心慟流」という流派の武術であったとされ、集落には同流の伝書が残っている
 1  白刃の起源と沿革
 http://toji.life.coocan.jp/shiraha/shiraha003.html#010000

 片山心慟流は巻物によっては片山神道流とも記載があることから、「しんどう」の読みに「神道」あるいは「心慟」の字をあてたのは確実である。
 なので、かならずしも「わが国の長い伝統の中で神道を 「しんどう」 と読んだことは一度もない。」わけではなく、地域や時代によっては「しんどう」と呼ぶ場合もあったと思われる。
 神道無念流も「しんとうむねんりゅう」と呼ぶのが現在は一般的だが、地域や時代によっては「しんどうむねんりゅう」と呼ばれたことも十分あり得ると思われる

 余談であるが、筆者が稽古している古武道流派もNHKに紹介されたおり、清音を濁って読まれたことがあった。
 あれはたぶん誤読だろうなあとおもっている。