酒徒行状記

民俗学と酒など

酒徒六合流

 酒徒六合流(しゅとろくごうりゅう)とは、酒徒吉風が吞酒流(どんしゅりゅう)、タイ酒流居酒(たいしゅりゅう いざけ)、随園八杯掌(ずいえん はっぱいしょう)、白酒光棍(ぱいちゅう こうこん)、ラキ・ギュレシ(rakı・güreş)、Drink As Drink Can(DADC、ドリンク アズ ドリンク キャン)、MDA(Mixed Drinks Arts)を合一し開いた飲酒術の流派である。

【歴史と技法】
 江湖相酒会の酒徒吉風が開いた飲酒術流派である。
 酒徒は最初に吞酒流に入門し、飲酒術の手解きを受けた。

 この吞酒流は板垣退助も学んだとされ、1875(明治8)年、大阪会議の席上、井上馨がビールで板垣を酔いつぶそうとするも、板垣は吞酒流の一番搾で応じて、井上を返り討ちにし、「板垣つぶれるとも、自由は死せず。一粒の麦もし死なずば明日も一杯」と名言を残したことで知られる。

 酒徒はその後、タイ酒流居酒を学び、清に渡り、随園八杯掌、白酒光棍、トルコのラキ・ギュレシ、イギリスのDrink As Drink Canの六流派を極め、それらのエッセンスを取り出し、独自流派として成立させた。

 流名の「六合」は「6つの飲酒術流派を合一させたことによる」とされていたが、後にMDAの技術を取り入れたことから「諸流を合わせ、どんなに酒の弱い者でも六合は楽しく飲める」に変更された。

 乱飲(宴会)と共に、不酔法・酩酊の形(相酒・虎乱・朦朧酔眼・大蛇吐酒・前後不覚)・酔覚術・肝臓労式などの形を伝え、
 ・宴会芸
 ・酒と飲酒の歴史
 ・醸造・蒸留法
 ・つまみの合わせ方 
 ・二日酔いの回復法
 ・飲酒健康法
等を教授していたとされる。

 通信講座により多くの門弟を抱え、一時期は東の櫻川流、西の六合流とよばれるほどであったが、通信講座の受講生に未成年者がいたこと、若者の飲酒離れなどにより衰退。
 現在では一部の門弟が小規模に行っているとされる。 

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Twitter神道六合流の話題が出ていた

ja.wikipedia.org

 

ので、ついパロディを書いてしまった。

パロディ、むつかしい。

というかこの流派、飲酒術などと言ってるが実態は宴会芸流派ではなかろうか。(なのでライバルは実在する「櫻川流江戸芸かっぽれ」(かっぽれ道場)

kappore.tokyo

を記してしまいました。東中野にかっぽれ道場の看板あるの気になってて…。きかいがあったら習いたい)

仕込んだ元ネタわかる人どのくらいあるかしらん。