酒徒行状記

民俗学と酒など

Messieurs ç'est L heure(紳士諸君(禁酒法の)時間だ)-アブサン禁止令を皮肉ったポスターより

アブサン話続き。

1.カクテルとアブサン 

 以前、大正時代のカクテルレシピブックを研究した時*1、カクテルのレシピで、アブサンが多く使われていることに気が付いた。

 アブサンの一般的な飲み方としては、水で割って白濁させて飲む、あるいは角砂糖と一緒に水で割って飲む飲み方が一般的で、「ウォッカアイスバーグ」や、「午後の死」といったカクテルもあるが、あまりカクテルには使われないリキュールである。

 しかし、大正時代のカクテルブック(前田米吉1924『コクテール』)を確認すると

46. タルフコクテール【注59】
 調合グラスに約半分の砕き氷を入れ之に

 プリマウス・ジン    二分の一オンス
 フレンチベルモット   二分の一オンス
 オレンジビタ  一振り   マラスチノー   一振り
 アブサン    一振り

 を加え、バースプーンにてよく攪き廻したる後、コクテールグラスに漉し、之にオリーブを加え、尚ほレモン皮の小片を搾り込んですすめる。


【注59】「タルフ(Turf)コクテール」は、現代の表記では「ターフ・カクテル」。欧米では1910~20年代から飲まれているカクテルで、前田氏のレシピもほぼ同じ。なお、フレンチ(ドライ)ベルモットの替わりにイタリアン(スイート)ベルモットを使うレシピもある。

48. ダンプセーコクテール【注61】
 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に

 カルバド【注62】   三分の二オンス
 ジン             三分の一オンス
 アブサン          一振り
 グレナデンシロップ     テースプーン半杯

 を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注いですすめる。


【注61】「ダンプセーコクテール」は、「デンプシー(Dempsey)・カクテル」のこと。1920年代にはすでに欧米で飲まれていたが、なぜか欧米のカクテルブックでは紹介されることが少ない。当時の標準レシピは、カルバドス30ml、ジン30ml、アニス・リキュール1tsp、グレナディン0.5tspで、前田氏のレシピとは少し異なっている。

【注62】「カルバド」とは、言うまでもなく「カルバドス(アップル・ブランデーの高級品)」のこと。

【復刻連載】「コクテール」前田米吉著(8) カクテルレシピ<5>/3月6日(日) | Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11. - 楽天ブログ*2

 というように、アブサンが風味付けとしてよく利用されているのである。

 

 さて、先日、新橋のアブサンbar「Vanilla Var」でアブサンツアーを行ったとき、マスターにこの話をすると「アブサンは1910年代に製造が禁止されているのです。なのでこのレシピ(1924(大正13)年)のアブサンは、スペイン産のアブサンの可能性が高いですね」と指摘を受けた。

 アブサン禁止令については知っていたが、その影響が日本に及んでいたことまでは気づいていなかった。

 たしかに確認するとスイスでは1910(明治43)年、フランスでは1915(大正4)年に製造が禁止されている。*3

 また、「アブサンの場合、各国で薬草の入手しやすさが違うので、味が国によってかなり異なる。スペインのアブサンを飲んでいた大正時代と、本場物のスイスのが飲める現在では、カクテルの味も違うと思われる。」という話も聞く。

 なるほど薬草酒の場合はハーブの入手しやすさも味に大きく影響するの、あまり意識していなかった視点である。

 日本でも、養命酒や保命酒など生薬を使用したリキュールは多くあるのだけどそれらの生薬をどう入手してきたかなどは、あまりまとまった研究がされていない。

 以前読んだ資料では、鳥取青年団青年団の収入源として五倍子の栽培・採取を行っていた事例があったが、こうした生薬の入手が地場産業や民俗の維持などにもつながっていたのではないかと思う。

2.Messieurs ç'est L heure(紳士諸君(禁酒法の)時間だ)

 また「Vanilla Var」で、一枚アブサンの歴史を示すボトルとポスターを見せていただいた。

 悪魔のような怪しい顔つきの男が、緑色の美女を踏みつけている。そして背後には、年号を思わす数字とそれぞれの絵柄が示されてる。実はこれは、スイスのアブサン禁止令を皮肉ったポスターなのである。(写真は店内に貼られたポスター。高精細画像はVintage 1910 Absinthe Advertisement 'Prohibition - Death of Absinthe The Green Fairy' Posterなどで検索すると出てくる。例Vintage 1910 Absinthe Advertisement 'Prohibition - Death of Absinthe The Green Fairy' Poster Poster by Jeanpaul Ferro | Society6

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アブサン禁止令を皮肉ったポスター

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アブサン禁止令を皮肉ったポスターをエチケットにしたもの

 まず左側、1291の数字と共に、三人の男たち(スイスの森林三州)が大空の黒鷲(神聖ローマ帝国またはハプスブルグ家。両者とも黒鷲が紋章)を指さしている。

 この絵は1291年、スイス連邦の原型である、森林三州(ウーリ州シュヴィーツ州ウンターヴァルデン州)の誓約同盟の成立を示している。*4

 これは、ハプスブルグ家が三州の自治権を侵そうとしたのに対抗し、森林三州が同盟を組み(後にシュウィーツ州,ウンターワルデン州も参加)、対抗したものである。この同盟が後に、1315年モルガルテンの戦に勝利することで、現在のスイス連邦へと発展するのである。*5

 そして右側には1910年の数字と荒涼とした風景の中、スイスの紋章を付けた老人が疲れ切ったように座り込んでいる。これは1910年当時、アルコールによって疲弊したスイス連邦を示している。また、下で心臓に剣を刺され、息も絶え絶えになって仆れている美しい緑色の妖精は、我らがアブサンの妖精。

 そして、中央の悪魔のような顔つきの男は、「Messieurs ç'est L heure(紳士諸君(禁酒法の)時間だ」と唱え、1910年10月7日、アブサン禁止令がはじまることを告げている。

 男は聖書を持ち、青と白の十字模様のネクタイを付けていることから、キリスト教系の男だとわかる。

 このポスターは、表面上では、疲弊したスイス連邦再生のため、アブサン禁止令を敷いたことを呼びかけるものだが、実際には、悪魔のような男と美人に描かれるアブサンの妖精の様子から、実は禁酒主義者を揶揄するポスターであった。

 

 この絵の中央の男のモデルについては店で名前を教えてもらったが、忘れてしまった。販売のHPAbsinthe Suisse La Bleue | ALANDIA Online Storeなど確認しても、名前は出ていない。或いはスイスで、アブサン禁止令に重要な役割を果たした精神学者アルバート・マハイム博士*6ではないかと思うがどうだろうか?

 また店に行って確認せねばならない。

 以前、米国の禁酒法と日本の禁酒運動などを友人と調べたことがあり、岡山の禁酒会館にも足を運んだことがあったが、まだうまくまとめられていない。

 日米だけでなく、19世紀末から20世紀初頭の禁酒運動については世界的な目で見る必要があると教えてくれたポスターであった。

 

 なお、本稿を書くにあたっては以下のサイトが参考になった

 アブサン研究室 -La Vie en Wormwood-
 https://absinthe.hatenablog.jp/ 

 Doggie Boogie アブサン/苦艾酒
  http://doggie-one.server-shared.com/photo/doggieboogie-home/abusann-1.htm
 
 特に後者のサイトはすごい情報量である。ご興味のある方はご覧になられるとよいかと思う。

 また、今回伺ったVanilla Varのマスターも、アブサンに関する現地訪問の本を書かれているそうである。
 知らなくて今回は入手し損ねたが、次は伺って買わなくては。 

vanilla-var.net 

*1:明治から昭和前期のカクテルブックに見るカクテル文化の成立 

*2:こちらうらんかんろ氏のHP

Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11. - 楽天ブログ

より引用。うらんかんろ氏はHPによると大阪でBar UKを経営されているとの由。カクテルの歴史に非常に造詣が深いのでぜひ一度伺って、お話を伺いたいと願っている

*3:禁断のお酒−アブサン 解禁から2カ月 - SWI swissinfo.ch

*4:スイス連邦の誕生 | スイス政府観光局

*5:ここら辺について興味のある漫画好きは、久慈光久狼の口』を読もう。とても面白いです。

狼の口 ヴォルフスムント 1巻 (HARTA COMIX)

*6:1905年、スイスでジーン・ランフレという農夫が大量飲酒の末、妊娠中の妻と二人の幼児を銃殺したランフレ事件が起きる。この時の裁判で、事件はランフレが飲んだアルコールのうち、アブサンが影響したという論陣を張ったのがマハイム博士。彼の説がアブサン禁止令が施行されるきっかけとなった。