酒徒行状記

民俗学と酒など

鉄鍋のジャンの監修者、おやまけいこ(小山惠子)氏の事績について

1.はじめに

 先の記事、第一回酒徒吉風(酔っ払いの舌)杯開催!(<米とサーカス>『鉄鍋のジャン』コラボ料理を喰う) - 酒徒行状記では鉄鍋のジャンのコラボ料理に関する記事を書いたが、この作品の面白さは監修者おやまけいこ(小山惠子)氏の力によるところが大きい。

 ところが、おやまけいこ氏については早くに亡くなってしまったせいか、WEBなどでもあまり情報を拾うことができない。

 今回、Webの断片情報だが、おやま氏について、わかる範囲をまとめて紙碑としたいと思う。

2.おやま氏の略歴について

 おやま氏の略歴については、Webの書き込みのため、信頼度は低いが、鉄鍋のジャンスレで以下の書き込みが確認できる。

 

kuzure.but.jp

 この略歴の出典については詳細は不明だが、下記の画像が出典の元のようである。

小山恵子氏略歴。出典未詳

 

 確度は不明だが、記載内容から、たぶん現時点で分かるおやまけいこ氏の略歴として、文字起こしをするとともに、解説や誤記修正をしながら確認したいと思う。(読みやすいように改行などは筆者が行った)

 

プロフィール&業務実績>

 小山惠子(おやま けいこ)
 Food Coordinator・料理研究家・薬膳調理指導員
 東京出身。共立女子大学文芸学部卒業。在学中より小説家について文章作法を学び、サンケイリビング誌のレポーターとして業界入り。

 卒業後、「今週の日本」、「フォト」、総務庁の「マネージメント&コーディネーション」等、政府広報誌のインタビュアー、座談会の司会者などで活躍、現在に至る。
 その傍ら、中国料理、フランス料理、日本料理等、多方面の料理を勉強。恵比寿中華料理学院では鉄人・陳健一の父、陳健民氏に師事し、師範認定を得る。

 又、天皇陛下の料理番と言われた、故斎藤文次郎氏が校長を勤めた日本司厨師協会のワールドクッキングスクールでフランス料理の師範認定も取得。

 日本料理は「龍雲庵」の後藤紘一郎氏に師事、7年間懐石料理を学ぶ。その他、チーズのシュバリエの資格、北京中医大学薬膳調理指導員の資格も収得。『食文化』を中心とするトータルコーディネーションを目指している。

 現在では自宅で医食同源の家庭でできるおいしくて体に優しい中国料理を教える傍ら食品メーカの食品開発、ビデオパッケージやパンフレットの料理指導などのほか、少年漫画雑誌等で料理漫画の監修・指導も手がける等、多方面にわたり活躍中。

 1995年、女子栄養大学出版『栄養と料理』では、これから業界で期待できる人として紹介される、又1997年1月~6月まで朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に『おやまけいこの医食同源』連載、評判を得る。1999年ギリシャ政府の招待により、現地で1ケ月ギリシャ料理の研修をうける。

 又、化学調味料を使わない中華料理をずっと提唱し続けてもいる。

 料理研究家、Food Coordinatorとしての活動の他、最近では「家庭でできる医食同源」の講演の他、メニュープランニング、商品開発等Food(以下判読不能

<以下注釈>

3.出版物・著作

 朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に「おやまけいこの医食同源」を連載とあるが記事は確認できず…

 このほか雑誌『四季の味』に連載を持っていたようである。

【四季の味 掲載号】  

秋号No.62 (発売日2010年09月07日) 誤差が生み出す味の奥行き 小山惠子

春号No.60 (発売日2010年03月08日) はたして日本のコメは万能か? 小山惠子
冬号No.59 (発売日2009年12月10日) 家庭のスープは具から取る 小山惠子
秋号No.58 (発売日2009年09月07日) 水で軽やかさの演出を 小山惠子
冬号No.55 (発売日2008年12月08日) 中国薬膳で冬暖かに 小山惠子
秋号No.50 (発売日2007年09月17日) 秋を迎えるための中国薬膳 小山惠子
春号No.48 (発売日2007年03月17日) 木の芽どきの中国薬膳ご飯 小山惠子(料理研究家・薬膳調理指導員)
夏号No.45 (発売日2006年06月17日) 夏を乗り切る中華のご飯 小山恵子(料理研究家・薬膳調理指導員)
 
【ジャンへの道】
 現在一番まとまって、おやま氏の文章が読めるのは、『鉄鍋のジャン』のMF文庫版2005年(電子書籍版にも収録)のあとがき記事「ジャンへの道」かもしれない。
 

4.料理会

 このブログによるとツーツー会という料理会を主催していたとのこと。

plaza.rakuten.co.jp

また、勉強会などもおこなっている。

Yabu's Essence - 楽天ブログ (2006年)

 

 このお店のシェフ薮崎友宏氏はおやま氏と交流があったようなので、話を聞きに行くとおやま氏に関する情報が得られると思っている。

tabelog.com

  2015年には吉祥寺のフランス料理教室La Table Douce ラ・ターブル・ドゥースにて薬膳講座を何度か行っている。

【満員御礼!】第七回・小山惠子先生の薬膳講座とシェフ喜八郎のフレンチ薬膳を味わう食事会@Lyla(2015年。このほか第5回の記事もあり)

 

 そのほか 2016年、17年ごろの食時会の記事もウェブ上にあり。

死ぬまでに食べておきたい幻のスイーツ「サンプーチャン」は“皿にも、箸にも、歯にもつかない”不思議食感!? - Togetter(2016年)

 

…ていうかこのツイート見て、「おやまけいこ先生の料理会…何とか参加できないか」と強烈に思ったのだった。なんで頑張って行かなかったんだ、私…

 

 また、インド料理とのコラボも行っている。

薬膳・スパイスの会★中村屋本店「グランナ」で身体元気なインド料理のフルコース! | チョンチョニで けんちゃな☆~韓国旅行ブログ~(2017年)

   

5.没年

正確な没年については不明。2018年の鉄鍋のジャンスレには投稿があるが出典は不明。

鉄鍋のジャンおやまけいこ氏亡くなったのね…

朝日クロスサーチ・毎日歴史館・ヨミダスなども検索するが、訃報などヒットなし。

また、2021年には下記のようなツイートあり。

 

おやま氏と親交のあった方のブログ記事有り。

pinhukuro.exblog.jp

上野「みはし」のあんみつ。
東京駅名店街のリニューアルで、この店に出店してもらった(今でもあるかな)。
ちょっと奥まった場所だったので、思ったより売り上げが伸びなかったけれど、古くからのフアンも多い。

あの頃、食の探求の先達だった小山恵子先生、中華料理漫画「鉄鍋のジャン」の原作者にして、微妙な味も見分けられる味覚の持主の完全主義者、名だたるシェフたちも一目置いていた。
そういうマエストロに特別コースを注文する勉強会で、もう限界というほど食べた後、「甘いものを食べないと、すとんと落ちないのよ」と、夜の上野を「みはし」を訪ねたら、もう閉店。
それでも、諦めないで上野駅構内で別の甘味屋をみつけて、やっと我慢した。

骨だけのような細い体のどこにあれだけ入るのだろうと皆が、やさしく噂した。

「Nさんが、東京駅八重洲側の新しい鉄鋼ビルにディンタイフォンが出たから行こうというので、ご一緒しませんか」と電話があって、久しぶりに一緒に小籠包をいろいろ食べたのが最後になって、知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前じゃきかないな。

 2022年の記事で「知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前」とのことなので、やはり、2018年ごろに亡くなられたのだと思われる。

 

6.『鉄鍋のジャン』の中華料理界への影響

 先ほどの薮崎友宏氏や、<南方中華料理南三>の水岡孝和氏など、ジャンの影響を語るシェフも多い。(以前白酒の会でしりあった中華料理の人もそんな話をしていた)  

 こうした、中華料理のシェフたちに強く影響を与え、また私のように中華料理好きを増やしたのが、おやま氏の一番の功績といえるだろう。

 

plaza.rakuten.co.jp

<南三>水岡 孝和氏インタビュー記事

7.おわりに 

 以上、主にネットでの荒い調査であるが、おやまけいこ(小山惠子)氏の事績について大まかにまとめてみた。

 とりあえず、『四季の味』探して読んでみるのと、<南青山エッセンス>食いに行って話を伺おうと思う。

 また、おやまけいこ先生の謦咳に接せられた方は、ぜひ人となりや事績をお教えくだされば幸いです。

 

 追記:フードコーディネーターについては2000年に刊行された

「食の仕事人」事典-ヒット企画への情報源 単行本 – 2000/8/20

 https://amzn.asia/d/i8kGKJs

 というのがあるようである。こちらも確認したい。

 

また、web.archiveにおやま氏のHPが一部残っているようである。リンクたどれるかしらん。

 おやまけいこクッキングサロン 

https://web.archive.org/web/20070820190136/http://www.mdilab.co.jp/officeo/index.htm