1.はじめに
先の記事、第一回酒徒吉風(酔っ払いの舌)杯開催!(<米とサーカス>『鉄鍋のジャン』コラボ料理を喰う) - 酒徒行状記では鉄鍋のジャンのコラボ料理に関する記事を書いたが、この作品の面白さは監修者おやまけいこ(小山惠子)氏の力によるところが大きい。
ところが、おやまけいこ氏については早くに亡くなってしまったせいか、WEBなどでもあまり情報を拾うことができない。
今回、Webの断片情報だが、おやま氏について、わかる範囲をまとめて紙碑としたいと思う。
2.おやま氏の略歴について
おやま氏の略歴については、Webの書き込みのため、信頼度は低いが、鉄鍋のジャンスレで以下の書き込みが確認できる。
この略歴の出典については詳細は不明だが、下記の画像が出典の元のようである。
鉄鍋のジャンの監修、フードコンサルタントのおやまけいこ先生は、ワケが分からんレベルでとにかく凄い経歴の持ち主。 pic.twitter.com/kTF9HUcPDA
— 秋月 (@ua65MVGEhYKrzP5) 2021年1月21日
確度は不明だが、記載内容から、たぶん現時点で分かるおやまけいこ氏の略歴として、文字起こしをするとともに、解説や誤記修正をしながら確認したいと思う。(読みやすいように改行などは筆者が行った)
<プロフィール&業務実績>
小山惠子(おやま けいこ)
Food Coordinator・料理研究家・薬膳調理指導員
東京出身。共立女子大学文芸学部卒業。在学中より小説家について文章作法を学び、サンケイリビング誌のレポーターとして業界入り。卒業後、「今週の日本」、「フォト」、総務庁の「マネージメント&コーディネーション」等、政府広報誌のインタビュアー、座談会の司会者などで活躍、現在に至る。
その傍ら、中国料理、フランス料理、日本料理等、多方面の料理を勉強。恵比寿中華料理学院では鉄人・陳健一の父、陳健民氏に師事し、師範認定を得る。又、天皇陛下の料理番と言われた、故斎藤文次郎氏が校長を勤めた日本司厨師協会のワールドクッキングスクールでフランス料理の師範認定も取得。
日本料理は「龍雲庵」の後藤紘一郎氏に師事、7年間懐石料理を学ぶ。その他、チーズのシュバリエの資格、北京中医大学薬膳調理指導員の資格も収得。『食文化』を中心とするトータルコーディネーションを目指している。
現在では自宅で医食同源の家庭でできるおいしくて体に優しい中国料理を教える傍ら食品メーカの食品開発、ビデオパッケージやパンフレットの料理指導などのほか、少年漫画雑誌等で料理漫画の監修・指導も手がける等、多方面にわたり活躍中。
1995年、女子栄養大学出版『栄養と料理』では、これから業界で期待できる人として紹介される、又1997年1月~6月まで朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に『おやまけいこの医食同源』連載、評判を得る。1999年ギリシャ政府の招待により、現地で1ケ月ギリシャ料理の研修をうける。
又、化学調味料を使わない中華料理をずっと提唱し続けてもいる。
料理研究家、Food Coordinatorとしての活動の他、最近では「家庭でできる医食同源」の講演の他、メニュープランニング、商品開発等Food(以下判読不能)
<以下注釈>
- 共立女子大学文芸学部卒業:*1。なお、紀要などの学内誌にはおやまけいこ/小山惠子のヒットなし。
- 在学中より小説家について文章作法を学び:師事した小説家は不明。
- サンケイリビング誌:サンケイリビング新聞。フリーペーパーの発行専業出版社。前身は経新聞社広告局制作『フジサンケイリビングニュース』*2
- 「今週の日本」:1968-1995まで刊行された新聞。
- 「フォト」:どの雑誌か不明。
- 総務庁の「マネージメント&コーディネーション」:1988-1993まで刊行された、 政府刊行物。*3
- 恵比寿中華料理学園:「中国料理学院」の誤記。四川飯店の陳健一が開校。陳健一が亡くなる1990年まで運営される。*4 「師範」というのが学院の中でどの程度の称号なのかは不明。なお同じく師範をとったとする人物に 刈谷市でクッキングスクールを経営する羽谷憲子氏がある。
- 陳健民:言わずとしれた四川飯店の創設者。日本に四川料理を普及させた第一人者の一人。
- 日本司厨士協会:全日本司厨士協会の誤記。西洋料理人の全国的な協会。
- 斎藤文次郎:1897-1988全日本司厨士協会初代会長。丸の内ホテル勤務。天皇陛下の料理長とも呼ばれる(宮内省大膳職?秋山徳三との関係は要確認)著書に『フライパン一代』あり。また月刊ホテル旅館 19(9)(224)、月刊ホテル旅館 19(10)(225) また『西洋料理物語』にも「斎藤文次郎とグランド・ホテル」の項目あり。
- ワールドクッキングスクール:六本木ワールドクッキングスクールのことか?現在は閉校?詳細不明。
- 龍雲庵:神田駿河台の懐石料理店。以前は新宿御苑にあったとのこと。
- 後藤紘一良:1940年、岐阜県生まれ。15歳で飛騨高山の料亭「洲さき」で修業後、東京・銀座の「辻留」に入店し、辻嘉一氏に師事。その後東京「胡蝶」の料理長を経て、93年、東京・新宿に懐石料理「龍雲庵」を開店。なお龍雲庵は現在は神田駿河町に移転。『懐石料理を楽しむ』『椀盛入門 : 椀盛の十二カ月とその技法』などの著作あり。*5
- チーズシュバリエ:「フランスチーズ鑑評騎士の会」(Confrérie des chevaliers du taste-fromage de France)が授与する民間称号。日本には1991年よりフランスチーズ鑑評騎士の会日本支部がある。おやま氏もここで取得をしたか? フランスチーズ鑑評騎士の会とは - tf-japon ページ!
- 北京中医大学薬膳調理指導員の資格:日本中医食養学会の資格か?日本中医食養学会 | 正しい中医学を学び、薬膳の資格を取得
- 少年漫画雑誌等で料理漫画の監修・指導も手がける:無論『鉄鍋のジャン』のことである
- 栄養と料理:雑誌『栄養と料理』。1995年の何号か未確認。
- 朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」:所蔵館等不明…
3.出版物・著作
朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に「おやまけいこの医食同源」を連載とあるが記事は確認できず…
このほか雑誌『四季の味』に連載を持っていたようである。
秋号No.62 (発売日2010年09月07日) 誤差が生み出す味の奥行き 小山惠子
4.料理会
このブログによるとツーツー会という料理会を主催していたとのこと。
また、勉強会などもおこなっている。
Yabu's Essence - 楽天ブログ (2006年)
このお店のシェフ薮崎友宏氏はおやま氏と交流があったようなので、話を聞きに行くとおやま氏に関する情報が得られると思っている。
2015年には吉祥寺のフランス料理教室La Table Douce ラ・ターブル・ドゥースにて薬膳講座を何度か行っている。
【満員御礼!】第七回・小山惠子先生の薬膳講座とシェフ喜八郎のフレンチ薬膳を味わう食事会@Lyla(2015年。このほか第5回の記事もあり)
そのほか 2016年、17年ごろの食時会の記事もウェブ上にあり。
死ぬまでに食べておきたい幻のスイーツ「サンプーチャン」は“皿にも、箸にも、歯にもつかない”不思議食感!? - Togetter(2016年)
先日、あの伝説の漫画『鉄鍋のジャン!』監修・おやまけいこさんによる料理会に出席させていただきました……! もうどれも凄かったんですが、とりわけこれ! 歯につかない・皿につかない・箸につかない、ねばねばデザート三不粘(サンプチャン)! お、お前、実在したんかぁーっ! pic.twitter.com/egYq6ZMUNp
— 三田誠@Makoto Sanda (@makoto_sanda) 2016年11月24日
…ていうかこのツイート見て、「おやまけいこ先生の料理会…何とか参加できないか」と強烈に思ったのだった。なんで頑張って行かなかったんだ、私…
また、インド料理とのコラボも行っている。
薬膳・スパイスの会★中村屋本店「グランナ」で身体元気なインド料理のフルコース! | チョンチョニで けんちゃな☆~韓国旅行ブログ~(2017年)
5.没年
正確な没年については不明。2018年の鉄鍋のジャンスレには投稿があるが出典は不明。
朝日クロスサーチ・毎日歴史館・ヨミダスなども検索するが、訃報などヒットなし。
また、2021年には下記のようなツイートあり。
そう言えば、ジャンの監修してたおやまけいこさんの訃報って、やっぱ本人のだったんかな
— 七尾七衛 (@7o_7e) 2021年4月30日
おやま氏と親交のあった方のブログ記事有り。
上野「みはし」のあんみつ。
東京駅名店街のリニューアルで、この店に出店してもらった(今でもあるかな)。
ちょっと奥まった場所だったので、思ったより売り上げが伸びなかったけれど、古くからのフアンも多い。あの頃、食の探求の先達だった小山恵子先生、中華料理漫画「鉄鍋のジャン」の原作者にして、微妙な味も見分けられる味覚の持主の完全主義者、名だたるシェフたちも一目置いていた。
そういうマエストロに特別コースを注文する勉強会で、もう限界というほど食べた後、「甘いものを食べないと、すとんと落ちないのよ」と、夜の上野を「みはし」を訪ねたら、もう閉店。
それでも、諦めないで上野駅構内で別の甘味屋をみつけて、やっと我慢した。骨だけのような細い体のどこにあれだけ入るのだろうと皆が、やさしく噂した。
「Nさんが、東京駅八重洲側の新しい鉄鋼ビルにディンタイフォンが出たから行こうというので、ご一緒しませんか」と電話があって、久しぶりに一緒に小籠包をいろいろ食べたのが最後になって、知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前じゃきかないな。
2022年の記事で「知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前」とのことなので、やはり、2018年ごろに亡くなられたのだと思われる。
6.『鉄鍋のジャン』の中華料理界への影響
先ほどの薮崎友宏氏や、<南方中華料理南三>の水岡孝和氏など、ジャンの影響を語るシェフも多い。(以前白酒の会でしりあった中華料理の人もそんな話をしていた)
こうした、中華料理のシェフたちに強く影響を与え、また私のように中華料理好きを増やしたのが、おやま氏の一番の功績といえるだろう。
以前紹介した超スゴい創作中華『南方中華料理南三』の店主が、鉄鍋のジャンの影響を受けていると知ってめちゃめちゃ納得している https://t.co/qnN3zvs3fl pic.twitter.com/ZRIj1tRURi
— 荻野謙太郎(マンガ編集者) (@gouranga_) 2023年12月24日
7.おわりに
以上、主にネットでの荒い調査であるが、おやまけいこ(小山惠子)氏の事績について大まかにまとめてみた。
とりあえず、『四季の味』探して読んでみるのと、<南青山エッセンス>食いに行って話を伺おうと思う。
また、おやまけいこ先生の謦咳に接せられた方は、ぜひ人となりや事績をお教えくだされば幸いです。
追記:フードコーディネーターについては2000年に刊行された
というのがあるようである。こちらも確認したい。
また、web.archiveにおやま氏のHPが一部残っているようである。リンクたどれるかしらん。
おやまけいこクッキングサロン
https://web.archive.org/web/20070820190136/http://www.mdilab.co.jp/officeo/index.htm