2024年の1月前半の一日一論文を載せる。
一日一論文、全て、twitterの引用貼り付けだと重くて見づらいというご指摘をいただいたので、記述方法を変えてみた。どうかしらん。
前半の論文で面白かったのは古田織部関連の論文。というか『へうげもの』がたまらぬ。
写真は織部焼(美濃焼)にちなんで2023年に陶芸をやってる友人と行った岐阜県多治見市で買った『やくならマグカップも』の地元コミュニティ誌と多治見名物の信濃屋のころうどん。
ころうどん、しいたけだしの旨いつゆと固くも無く柔らかくもなくという不思議な食感のうどんだった。
多治見、また行きたいなあ。河童の町で面白かった。
【食文化】
■#一日一論文 武井基晃「金門島の砲弾鋼刀」(『歴史人類』46号2018.3筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻)
以前、日本民俗学会で抜刷をいただいた論文。
金門島は船戸与一の『金門島流離譚』で知って以来、一度行きたいと思っている島でだったのでとても面白く読む。金門高粱酒もあるしね。
金門砲戦や白団フロッグマンなどの歴史も気になるところである。
あと、Twitter(X)のA士さん@kitsunefukkaは金門島で衛生兵として兵役に就かれていたころを漫画の題材にしていて面白いです。
#一日一論文 武井基晃「金門島の砲弾鋼刀」(『歴史人類』46号2018.3筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻)https://t.co/t0FpiHR1Zj
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月4日
台湾金門島の砲弾鋼刀を事例に、一種のダークツーリズムである金門の戦跡観光と商品に関する「したたかさ」を明らかにする論文。
金門島は中台の最前線の島であり、古寧頭戦役(1949)実際に軍事衝突が起きた島である。
この島の名産は二つあり、一つは金門高粱酒、もう一つは中国人民解放軍が金門砲戦(1958年8月~10月。ただし定期的な砲撃は1979まで続く)で大陸より金門島に打ち込んだ砲弾の外殻の鋼鉄を再加工した、砲弾鋼刀(砲弾を利用した包丁。金門菜刀)である。
本論文は砲弾鋼刀について、製造工程の紹介と、刀匠へのインタビューを行った点が非常に特徴的であり、負の側面が強調して語られやすいダークツーリズムについて、そうではない「したたかさ」(島民も観光客それぞれにある)を明らかにする
金門砲戦の終了から30年以上たった砲弾鋼刀の砲弾はそろそろ枯渇するのではと思っていたが、近年の掘削技術の進展によりより深いところに残った砲弾が採掘できるようになり、原料の枯渇は心配ないとする刀匠の話は、石油資源などとも一致する話で大変興味深い。
包丁の買い手は島外の観光客が中心で、島民は砲弾鋼刀は「不好去磨」(鋼のみでできているので、研ぎにくい)なことから、あまり買わないというのも印象的である。
自分としては金門名産の高粱酒についても調査をしたい。
■#一日一論文 嶋内麻佐子 慶長年間における武家相応の茶の湯-古田織部の茶
文中にもあるが、正月、『へうげもの』のアニメと漫画ををみたことから読む。
『へうげもの』では利休死後、利休の「侘び・寂び」を越える美の価値観の確立について織部の努力が描かれるが、歴史上の織部の茶はどうであったか知りたくて読む。
論文著者の嶋内 麻佐子氏は長崎国際大学の特任教授で、鎮信流という茶道の九通伝授(武術でいう免許皆伝にあたるものか?)を受けた人とのこと。
#一日一論文 嶋内麻佐子 慶長年間における武家相応の茶の湯-古田織部の茶https://t.co/Y2IECeXDvB
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月9日
この正月、古田織部が主人公の『へうげもの』のアニメ全話とアニメ以降の漫画原作全巻を読破した。
この漫画の主題の一つが「師や先達を越える」という点で、主人公古田織部が、師の没後いかに師の千利休を越えて、独自の茶の湯の境地を編み出すかの試行錯誤は非常に面白いものとなっている。
史実の古田織部がどのよう新しい茶の湯を作ったかについて、この論文が見つかった。
・利休が求めた禅林的作法や平等性は身分平等性は排され、客をもてなすことに重点を置いた武家茶の形式となった。
・しかし座の形式が変更されたことで、草庵における茶の形態を維持することができた。
とする
私自身は茶の湯は全く知らないけれど、非常にわかりやすく読んだ。。
『へうげもの』では「武か数寄かそれが問題にて候」としていたが、むしろ織部は最終的には両方を「へうげ」で一体化し、数寄を残したともいえる。
なお、理解のために利休と織部の異同を本論文をもとに表にまとめてみた。
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月9日
■#一日一論文 石川 伸一 分子調理学のすすめ
分子調理、友人と食べに行く約束をしているのだけど、まだ食べたことがない。
一度食べたいのである。
#一日一論文 石川 伸一 分子調理学のすすめhttps://t.co/PmmKmeGC9V
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月11日
日本における分子調理学のトップランナーの一人石川先生の、分子調理学の2019年の研究動向紹介コラム。
分子調理学の概要と2019年段階の最先端研究として3 D フードプリンタを紹介する。
1980年代後半から「分子ガストロノミー」または「分子料理法」という言葉や,それらの手法による斬新な料理が登場し始めたとする。
1988年エルヴェ・ティスの「分子ガストロノミー」の
「分子ガストロノミーは,技術ではなく“科学”であり,新しい食材,道具,手法を用いて斬新な料理を創る技術とは異なる」
「分子ガストロノミーの主な目的は,現象のメカニズムを見出すことであり,シェフは分子クッキングを行っているかもしれないが,分子ガストロノミーは行っていない」
という発言はしっていた。 しかし2006年のフェラン・アドリアなどシェフ側の,「自らの料理のアプローチは分子ガストロノミーとは一線を画す」という決別声明は知らなかった。二人三脚でやってると思っていた。
両者の軋轢により料理界からは,「「分子ガストロノミー」という言葉がしだいに消えていった」とあるが、むしろ一般(やWEBでは)「分子調理」よりも「分子ガストロノミー」の語の方が知名度が高いようにも思う。
ここら辺の用語の受容のねじれは興味深い。
なお、食戟のソーマの薙切アリスも「分子ガストロノミー」を得意とすると言ってたはず。
分子ガストロノミーについては樋口直哉氏のこのコラムも参考になる。
料理を科学する分子ガストロノミーの先にある「未来の食」
■#一日一論文 山脇千賀子 文化の混血とエスニシティ ペルーにおける中華料理に関する一考察
この論文もとても面白かった。四谷にペルー料理の店があったはずなので、一度行こうかなと思う。
#一日一論文 山脇千賀子 文化の混血とエスニシティ ペルーにおける中華料理に関する一考察https://t.co/wOE40xz3JZ
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月12日
19世紀半ば以降の中華系移民がペルー社会にどのように中華料理を持ち込み、どのような「混 血 」料理が 生まれたのかを分析したもの。
1849年ペルー政府は清国よりペル―沿岸部のアシエンダ(大農園)の農業労働者として中国系移民を導入する。この移民は苦力貿易ともよばれ、奴隷制度に等しい劣悪な労働条件で契約を結ばされ、中国系移民は黒人奴隷よりも低い立場に置かれた。
しかし(彼らの不満のガス抜きもかねて)中国人の習慣や文化には最低限の経緯が払われ、米の提供や陰暦の正月などの行事うことが認められていた。 19世紀後半のペルー人は、正月の中華料理をご馳走になることを"Kon Hei Fat Choy"(恭喜発財)と呼び「私は"Kon Hei Fat Choy"に行ってきたよ」表現した。
【中国文化】
■#一日一論文 平井 良江 高齢者にバズる「広場舞」から健康寿命延伸のヒントを探る
この前日、youtubeで広場舞で流行っている曲のyoutubeを見たのと、この正月、いつもお世話になっている会津大のI先生と中国の広場とカンフーについて話を聞いたので、気になって読む。
広場舞で流行っている曲は以下の通り
鳳凰伝奇 最炫民族风_人民中国
調べるとこのユニットは、フィットネスダンスの曲としてアメリカに持ち込まれ、そこから逆輸入する形で中国で「広場舞」の曲として流行したとのこと。
#一日一論文 平井 良江 高齢者にバズる「広場舞」から健康寿命延伸のヒントを探るhttps://t.co/73KcOWCRYd
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月5日
上海の闸北公園、凉城を中心に、広場舞コミュニティの役割を明らかにするためのアンケート調査、聞き取り調査を行ったもの
京都大学の鼎会「おもろチャレンジ」の報告書として書かれる。
論文の筆者は①広場舞が流行する背景、②広場舞コミュニティ内の人間関係、③広場舞形態ごとの参加者の特徴、④広場舞が高齢者に与える影響、の 4 点を中心に調査し、広場舞団体は指導型と模倣型に大きく分けられ、始めた時期、習熟度、出身地等でグループ化されている。
指導型の踊りでは、始めた時期がグループ形成において特に重要であり、単純な動作を先生の後ろで踊る模倣型の踊りでは、性格の相性や出身地が特に重視されている。
模倣型は 60~70 代が中心で、指導型は 50~60 代が中心の世代、指導型ではさらに若い年代も多くみられたと整理をしている
また調査の困難として、
①調査対象者と信頼関係を築くのに時間がかかった
②中国の高齢者が調査に協力的なあまり、アンケートを捏造してくれそうになった
③方言が分からなかった点
を上げており、特に②は中国を研究する上で、重要な指摘だと思われる。
②について「中国で行われている満足度調査などは今でも捏造が多く、文革の時代に学生時期を迎えた世代は自身で論文を書いた経験がないため、アンケートを捏造することに違和感を抱いていないようだった。そのため、「必要な枚数だけ書いてあげる」「あなたの論文が書きやすいように答えてあげる」などと言われ、好意は嬉しかったが説明に少し手こずった」
というのは大変実感に富む
また「公園で高齢男性集団の立ち話を聞いていたところ、内容に政治や生活への不満が入っていたこと、香港のデモが過激化していることなどが原因で、のちに私服警官から二度とあの公園には近づくなと警告を受けた。そのため、調査地を変更することを余儀なくされ、調査に遅れが生じた」
というのも、現代中国でのフィールドワークの困難さを物語る。
広場舞については神奈川大学の周星氏の先行研究(中国語2014)があり。
秧歌舞/忠字舞/广场舞——现代中国的大众舞蹈
周星:秧歌舞/忠字舞/广场舞——现代中国的大众舞蹈|舞蹈-艺术人类学
広場舞が農村の秧歌舞、文革期の忠字舞と連続するものであることを示す。
また、「躍動するおばさんたち─中国・当世「広場ダンス」事情」としてAFP通信が特集を組む。
このほか、日本文化人類学会第50回研究大会(2016)では
田村和彦「中国の「広場舞」をめぐる親密性/公共性形成について―「熱情的人」を中心とする人間関係を中心に―」
www.jstage.jst.go.jp として、「熱情的人」と呼ばれるダンスの中核となる人々への報告や
華村@中国のnote
广场舞(広場舞)でトリップしそうになった話
note.comなどあり。
中国での「広場」の意味や、太極拳など広場で行われるカンフー団体との関係性なども興味がもたれる。
【地理学】
■#一日一論文 橋本, 英二; 伊佐, 義朗; 渡辺, 政俊 洪水によつて砂土の堆積をうけた竹林の回復に関する研究
昔、扇骨の調査で行った、安曇川の竹林の話。
扇骨の話は地理学の講義でしているが、もう少し研究進めたい。
#一日一論文 橋本, 英二; 伊佐, 義朗; 渡辺, 政俊 洪水によつて砂土の堆積をうけた竹林の回復に関する研究
— 酒徒吉風 (@syutoyoshikaze) 2024年1月10日
昭和29年第13号台風により、礫や土砂の侵入した安曇川防竹林の更生状態を5年間にわたり調べたものhttps://t.co/4sFacdipWt
・林内に流入した砂土や石礫のひろがりと堆積は,用水路の影響をうける
・大洪をうけた竹林,とくに礫 や砂土が約80㎝の厚さに流入堆積した場所でも,竹稈は大きな障害をうけない
・砂土の堆積によつて林床植物のほとんどは埋没したが,枯死することなくやがて更生したものが多い。
しかしその堆積量が多いほど植生の回復はおくれる傾向を明らかにする
講義のための滋賀の扇骨生産の研究のために読む。
古い論文だけど、安曇川の扇状地地形と竹林、そして扇骨生産は密接に関係するので、押さえたい。
水害防備林に関する本は講義前に一度目を通そう。あと安曇川が氾濫の多い川だったのは、地理院地図でも旧可道の痕なんかから読めるのだけど、もう少しきれいに講義で図示できないか検討しよう。