酒徒行状記

民俗学と酒など

【2024年1月後半】今月の一日一論文:「近江のオコナイに見る牛玉宝印」「〈長門・周防の民俗〉防長探訪記--山口で出会った人と物」「ワニ料理」など

 1月後半の#一日一論文。

 この時期は兄弟分の研究者と山口に旅行に行ったので、その下準備のため山口関係の資料を読む。

 山口、いいとこでした。魚があそこまで美味しいとは。瀬戸内と日本海両方の魚が入ってくるので両方の味が楽しめるとは思いませんでした。

 なお、山口行った後からの一日一論文は最後に論文執筆者の概略を載せるようにしました。

 今回、山口では山口大の民俗学のY先生のゼミを見学させてもらったのだけど、ゼミ生の発表を聞きながら、「そういえば文献読解やる時は「必ず、書いた人がどういう人物で、どういう研究をしている人なのか概略紹介をやりなさい」と言われたのを思い出したからでした。

 この#一日一論文でも簡単ではあるが、論文執筆者の概略を載せたいと思います。

 また山口大では、yiyushui / ティーチャー(TKT Soul Name)先生  

 

twitter.com

 にもお会いすることができた。せっかくおいしいお茶をいただいたのに、ゆっくり時間が取れず申し訳なく。またゆっくり研究の話を伺えればと思っています。

 

 写真は山口でみかけた秋吉台カルスト名産美東ゴボウ。

 世の中にここまで地学・地理学と結びついた包装があっただろうか。

見にくいが包装に「秋吉台カルスト名産美東ごぼう」とある

あと、山口で買った日本酒も載せる。山口あんなに蔵元が多いと思いませんでした。

山口で買ったお酒。リンゴのシードルKAZE-Sweetはまだ飲まずにとってあります

 

民俗学

 ■#一日一論文 中島誠一 近江のオコナイに見る牛玉宝印

 滋賀の研究もかねて読む。文中にも書いたが。私自身は滋賀県名越のオコナイで神道型のオコナイは見ているのだが湖南に広がる修験式のオコナイは見ていない。

 一度行かねばと思っている。水口町酒人の「出納」論文もまとめねばな。

 

 滋賀の甲賀地域におけるオコナイ行事における「牛玉宝印(ごおうほういん)」の授与について分析したもの。 滋賀では、正月から3月にかけて、オコナイと称する、村内の豊作・大漁・安全などを祈願する行事が行われる。

 これは年交代で集落のトウヤ・トウニンが中心となって、家や公民館などに巨大な鏡餅や繭玉などの作り物を飾り、各戸の代表者が出席するものである。 平安時代三宝絵詞や今昔物語には記録が見え、奈良時代の修正会・修二会にもその起源が求められるとされる。 

【参考】北村理子 星上寺 大餅行事の変遷

https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/34/shiryo_kitamura1.pdf

 滋賀湖北のオコナイは神道化が進み、神社の行事のようになっているが、甲賀などでは仏教行事と結びつきが深く、寺院の荘厳と乱声と牛玉宝印と呼ばれる呪符の授与が行われる。

 本論文では主に牛玉宝印の授与に着目し、甲賀町小佐治、甲南町稗谷、竜法師、甲西町三雲(妙感寺)、水口町杣中の事例を報告するともに、比較として湖北の山東町河内、木之本町古橋、西浅井町集福寺、余呉町八戸、国安、摺墨、下丹生、椿坂、菅並、山東町志賀谷、朽木村上麻生の事例を報告する。

 

【図表参考】

 

 本論文では(1)オコナイの根幹は魔除行為(2)牛玉宝印・乱声などの魔除行為の積み重ねで成立(3)オコナイ行事の複層性は魔除行為の多重性にあり、年頭の諸行事との線引きも魔除行為の多重性のバロメーターにあるかもとする。

 結論は、本論文の筆者自身も述べるように情報不足な面もあるが、オコナイ行事の複層性とその線引きについては、一つ考えられる視点である。 私自身は、長浜市名越のオコナイしか見たことがなく予祝行事の要素が強い印象があったが甲賀のオコナイを見るとまた印象が変わるかもしれない。

■#一日一論文 山根章弘 武家故実の研究(その二) :日本の都市における一般社会の家庭内の《正月行事》

 お正月なので読む。マナー講師と民俗学は相性が悪い。

 ただ一方で、有職故実というか故事来歴の解説といったそういう役割を一般に求められているのも事実。(『チコちゃんに叱られる』の解説みたいな…)

 それはそれで民俗学アウトリーチとして大事なんだけど、そこを越えるのが学問だし、そこを越えた学問の面白さを伝えるのが本当は大事なんだろうなと思っています。(でも実践にはなかなか至っていない)

 

 礼法家、風俗考証家の観点から、正月行事について『日本歳時記※』『和漢三才図絵』などの江戸期の古典籍を中心に解説した1990年の論文。 ※論文中では貝原益軒著とあるが、甥の貝原好古が編纂。益軒は刪補であり監修的な立場とすべき。参考文献に岡本綺堂『風俗江戸物語』を入れるのは時代を感じる)

 引かれている書籍は礼法書、百科事典、雑書の類が中心で、学術研究としてはあまり評価できない。ただ、興味深いのは、筆者の強い民俗学disりである。 筆者は 「日本の行事に関する記述や由来がすべて民俗学の立場から独断的に解説されているのが現状」

 武家という支配階級が伝えながら完成させてきた行事の様式が徐々に日本社会全般に行き渡ったという事実を民俗学は一切黙殺」 「日本の民俗学が体系的な学問というものになっているのか、果たして「学」と謂える厳密な科学性を持っているのかは極めて疑問」とする。

 本論の筆者は、宮中行事は一般に影響をしなかったが、室町期に朝廷の力が弱まるなか、室町幕府の将軍家や武家宮中行事を取り入れアレンジすることで、武家風の文化となり、それが農村社会に伝播したとする(各地域などで風習が違うのは、伝播の過程で本来の意義や形式が間違って伝えられたとする)

 私自身は民俗学徒として、反論(ツッコミ)もあるが、民俗学研究者とマナー講師(礼法家って、要はマナー講師)の、相性の悪さがはっきりわかる論文ではある。 まあ、無意識的に民俗学者も、マナー講師みたような根拠の薄い解説を行ってしまうこともあるので、自戒を込めて気をつけよう。

 著者の山根章弘は主な研究としては羊毛文化の研究と、折形(折り紙の原型。贈答などの紙包を折る作法)の研究を行った人物で、折形については山根折型礼法の宗主となる。

 この山根折型礼法は、次男の山根一城氏(元日本コカ・コーラ広報担当副社長。現、危機管理広報コンサル)が跡を継いでいるとのこと。段位が秘伝・皆伝となってるの、新興武道流派みたくてちょっと面白い。 

宗主 山根一城プロフィール | 山根折形礼法教室山根折形礼法教室

 

■#一日一論文 鎌田久子「ウチイナリと狐憑き」

 神奈川県川崎市西生田字高石の、Y家の屋敷神としての稲荷神(ウチイナリ)と狐をはじめとする憑き物の報告。屋敷神としてのウチイナリ/ウチイナリとしての祭/家とウチイナリの関係/トウガミとトウザ/狐憑きの節が設けられている。 興味深いのは「家とウチイナリの関係」の節。

 「ウチイナリは家とか土地についているもので、ツブレの苗跡を次ぐ場合もたいていあとの人が祀った。もちろん本家に一緒に祀ってもらうこともある。ツブレというのは家が没落して他村に出でるとき、かたなしにつぶすものではないといって、必ず山とか畑を少し残しておく。

 これをツブレといい、分家するにはこのツブレの苗跡を継ぐことが多かった。」 一族で祀る神ではなく、字義通り土地や屋敷の神の性格が強いことがわかる。

 また「トウガミとナカザ」というのも面白い。 これは失せ物などがあった際に、ナカザというヨリマシにトウガミというのを憑けて質問をするものである。

 ・トウガミというのはする時期は決まっておらず、ふだんから失せ物があると、「トウガミの時に聞いてもらおうじゃないか」などといってためておき、お互に話合いで開かれる ・戌年の者はナカザになれないといい、またのりうつらないのにのりうつった真似をすると、神様にひどく罰せられるという。

 その手順は ・「トウガミ、エミ給エ、カンオシシソンダケン」とナカザの耳の所で唱え毎をする ・イナリサンが寄ってきて目隠ししたナカザにのりうつる。 ・「今晩はお眠いところをお邪魔します」というと「よろしい」と答えて伺い事が始まる。 ・伺い事が終わると次に余興をする。

 ・ナカザになると障子の桟を渡ったり、屏風の上に乗ったりした。 ・神様が離れるとことをアガルといい、「オアガリは何でおあがりになりますか」というと「何々の歌をうたってくれ」とか「囃してくれ」と所望するのでその通りにすると、バタッと倒れて離れるという。

 ・憑くのは豊川稲荷がのりうつりやすく、天狗がのりうつるとすぐ荒れるという。 ・昔は土方という家がいつも宿になった。 とのことである。

 なお、トウジンは狐憑きとは別物とされていて、憑く狐は法印の飼っている野狐か、甲州の方からきたオサキ狐だとする。また「ケモノ」という憑き物もあるが、これはどんなものかはわからないとのことである。 オサキ狐は群馬の関係をよく言われるがこの地域では、甲州の方からとしてるのは少し面白い。

 今回、国会図書館の個人送信に掲載の論文を紹介。次回以降、国会図書館の個人送信の論文は(個人送信)とリンクに記載します 登録利用者になると閲覧ができるのでお勧めです。 筆者の鎌田, 久子, 1925-2011は柳田國男の秘書として有名。『女の力・女性民俗学入門』といった女性史研究も行う。

 

【地理学】

■#一日一論文 浜田清吉 秋吉台における人文生態の推移 

 山口に行くので読んだ論文。書いたのは浜田清吉という古い先生であるが、非常にわかりやすい論文であった。経歴を拝見すると小学校訓導から高校教師。そして大学教授という当時の地理学者の典型的なコースを進んだ人のようである。

 こういうたたき上げの研究者が郷土研究したことで、現在いろんな文化資源が残っているのだと思う

 

www.daito-h.ed.jp

 山口県秋吉台のカルスト地形と人間の利用について、通史的に述べた論文。

秋吉台は,縄文時代を中心とする原始的な狩猟生活時代には,低地に先んじた生活舞台であった。しかし,弥生時代以降低平地主体の稲作農耕時代になってからは,無居住にちかい周辺地域として,鉱石や草木を提供し,窪畑を許容したにすぎない」

 「20世紀以降,とくに戦後の経済発展に伴い・農耕は衰え・石灰石の採掘と観光が飛躍的に強大 となり,顕著な破壊と変容が行われ,学術的・文化財的側面からの保全とつよく競合するようになった。」とする。

 今週末山口に行くので読む。 江原のウバーレ集落なども行きたいのだけど、車がないと厳しいかもしれない。

 

www.sankei.com

論文中のカルスト地形独特の用語についてメモを付す カルスト:スロベニアのクラス地方が語源。スロベニア語でKras、ドイツ語でKarst、イタリア語ではCarso。

 テラロッサ:赤い土(伊語)。風化で石灰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出し、後に残った鉄分などが酸化し赤紫色となる。最新の研究では秋吉台の土壌は石灰岩の不溶性残渣よりも広域風成塵やテフラの影響が強いとされる。

【参考】岡本 透 秋吉台の土壌生成-風成堆積物の影響-

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pedologist/64/1/64_37/_pdf/-char/ja

ドリーネ・ウバーレ・ポリエ:地面が溶食されてできた窪地。底には小規模のものをドリーネと呼び、水はないが底面には、腐植土などが溜まり、多少の水を得られることもあるので、秋吉台では「窪畑」として活用する。 水の吸い込み口をポノールと呼ぶ

ドリーネが複数つながったものをウバーレ、さらに巨大なものをポリエとよぶ。秋吉台では江原・入見・奥河原などウバーレに形成された集落を見ることができる

佐山のような涸河しかない盲谷:溶食窪地が多数連結してできた谷、小雨季には涸河となることもある ジバス:堆積地ドリーネの陥没竪穴 ラピエ:ドリーネとドリーネの間の石灰岩が溶け残った、するどく尖ったやせ尾根

■#一日一論文 牛島 朗 カルスト地形特有の地質構造が産業都市形成と居住環境に及ぼした影響(科研費研究成果報告)

 同じく山口行の準備で読む。ウバーレ内の集落で、水がないはずなのにどう集落を形成したのかとても気になった。

 結局、乏水地域だが、

  ・底部に比較的肥沃な土壌が蓄積している

  ・天水や井戸(地下水面に近いところを掘る)ことで

  生活がが可能な地形となっている

 ようである。

 今回は直接はいけなかったので、神事も含めて見に行きたい。

 

山口県秋吉台の江原(よはら)ウバーレ集落を調査地として産業空間と居住文化に注目し,一見不可視な要素である地表下の環境と地上に築かれた空間構造との対応関係について多角的な分析を行ったもの。

秋吉台にはドリーネが複合的につながったウバーレ(連合擂鉢穴(の中に集落をつくる事例が見られ、江原ウバーレはその中でも最も有名なものである。 南北1km、東西7~800mの窪地に形成され、非常な急峻なリムに囲まれている集落である(段彩図並びに断面図は地理院地図をもとに吉風作成)

江原ウバーレ段彩図

江原ウバーレ断面図

過去には「隠れ里」「地形上孤立性が強く」「閉鎖的気風を残す」とされる 河川など常時地表を流れる水系は存在せず,雨水などは盆地底にの吸込穴(ポノール)を経て地下へと吸い込まれる。乏水地域だが、底部には、比較的肥沃な土壌が蓄積し、天水や井戸による農耕が可能な地形となっている。

本論文によると江原集落は ・大坂夏の陣以降に元和元年(1615)に最初の入植者が居住と開墾を始めその後も 3 時期(1624年,1682 年,1753 年)にそれぞれ入植が行われた ・吸込穴周辺の低地部分のみが農地として利用され,18 世紀前半までに現在の上組が先行して居住地化し,盆地底は生産の為の空間であった

上水道敷設以前は天水及び地下水に依拠し,集落内には共同井戸が存在。 ・地下に「ナメラ層」と呼ばれる不透水層が存在 ・底部で地下水面との距離が縮まるとともに,地下水系と断層の交差部であること,さらに宅地下の不透水層の分布などの要因が複合的に影響

 生活用水の確保が比較的容易な条件が整うことでで、集落を徐々に形成していったことが読み取れる。

 

今回、時間がなくて、江原集落を見に行くことはむつかしそうだが、本論文により、集落形成に地形と地下水が影響を強く持つ集落であることがイメージできた。 本研究は地理学的なアプローチであるが、土地所有やムラの草分けの位置づけ、祭礼など、民俗学社会学的な集落構造もいずれ確認したい。

 この論文も後で読む 吉田 優子 秋吉台西台上のウバーレに展開する農村景観の考察.

https://www.hues.kyushu-u.ac.jp/--2022renewal-backups/education/student/pdf/2016/2HE14010W.pdf

■#一日一論文 戸井田, 克己 〈長門・周防の民俗〉防長探訪記--山口で出会った人と物

 山口がらみで読む。戸井田先生が武蔵村山市史 民俗編も担当されていたのは知らなかった。

 

 岩国から下関、萩そして島根の益田・浜田まで、気になった人・物の探訪記。 物として岩国の青潮短歌会、瀬戸内の石風呂文化。人として宮本常一金子みすずを挙げる。

 市川健夫らが対馬海流の文化圏を「青潮文化」として提唱し、山口・瀬戸内で「青潮」の語が使用されていることを報告しているが、本論の調査では山口・瀬戸内で青潮の語はそこまで一般化されていないこと、また「青潮」の語が、俳諧では黒潮の言い換えの季語としてあることを報告する。

 石風呂は周防大島の石風呂と種子島の岩穴を比較と両者の保存について述べる。宮本常一金子みすゞについては略伝と感想、またそれぞれ、山口における海外移民、笠島の椿について触れる。

 私としては、冒頭の「青潮」の用例に対する調査が興味深かった。季語などから見た自然と民俗は篠原徹などが行っているが、自然観の研究では視野に入れるべきものかもしれない。

 戸井田氏は地理学者として『近畿を知る旅』『大潟村物語』などの著作があり、『青潮文化論の地理教育学的研究』と青潮文化についても研究をおこなっている 市川先生、白坂先生たちの『青潮文化』と合わせて、一度読みたいと思う。

 また、『武蔵村山市史 民俗編 』の執筆も行っているが、下記のエッセイでは宮田登・野本寛一両氏の影響を受けたとの由。 戸井田, 克己「一宮田登先生・野本寛一先生の思い出を交えて」

 

 宮田先生、「報告内容が詰まらないと(宮田先生が)眠ってしまうらしいことに気づいて以降、いかに眠気を催さない調査報告が行えるかというプレッシャー」「終了後の「打ち上げ」にも必ず顔を出され、しかも全員分の支払いを済ませてか ら一足先に席を立たれる」 さすがの人となりである…

■#一日一論文 山下 清海 日本における地域活性化におけるエスニック資源の活用要件-中華街構想の問題点と横浜中華街の実践例を通して

 ガチ中華ネタ。滋賀の友人と中華街でご飯を食べることになったのでそれにからんで読む。

 この論文よんで、中国フェスや中華宴会イベントの分析という論文のアイディアができたのでとてもよかった。さて取材できるかな・・・

 

 1990年代以降,日本各地で建設された地域活性化のための商業的チャイナタウン(計画設定的中華街)について失敗事例を検討し、横浜と比較することで地域活性化におけるエスニック資源の活用要件について考察した論文

 失敗事例として,立川中華街(1999~ 2011 ),台場小香港(2000~ 2010 ),千里中華街(2002~ 2007),大須中華街(2003~ 2009)、構想で消滅したものとして,仙台空中中華街,新潟中華街,札幌中華街,苫小牧中華街,福岡 21 世紀中華街を取り上げる。

 計画設定的中華街が短命に終わった要因として「来訪客が求めているものは,「創られた虚像の中華街」でなく」そのためにリピーターの獲得ができなかったことを挙げる。

 計画段階で終わった中華街構想は「(バブル経済崩壊により)行政側も中華街構想を実現するための資金は乏しく,急速な経済発展を遂げつつある中国資本へ期待した。しかし,尖閣問題をはじめ日中関係の悪化により,世論の十分な賛同を得られず」消滅したとする。

 一方横浜中華街は ・中国派・台湾派/老華僑と新華僑とのように分裂していた華僑社会内部で協調が図られた ・ホスト社会(日本側)の人々のエスニック社会への好感度が高かった ・観光資源として行政の支援を受けることができたことから成功・維持ができており、エスニック資源の活用には、エスニック集団,ホスト社会,そして行政の三者の協力関係の樹立が不可欠とする。

 論文筆者はチャイナタウンの研究の第一人者。『横浜中華街― 世界に誇るチャイナタウンの地理・歴史 』 『世界のチャイナタウンの形成と変容 』 『新・中華街 - 世界各地で〈華人社会〉は変貌する』 『池袋チャイナタウン - 都内最大の新華僑街の実像に迫る』などがある。私も池袋チャイナタウンに通い始めたころは先生の著書とHPが非常に参考になった。『池袋~』は超オススメ。

 (ファンなのだけどオンラインでしかお会いしたことない。今年は地理空間出よう・・・)

 

 まだ研究されていない視点として、中国フェスや中華宴会イベントの分析などは地理学の良い研究テーマになるかもしれない。

 フェスについては中華フェスに限定したものではないが、エスニックな国フェスについて猿橋順子という先生が調査をしているようである。

猿橋順子 国フェスの今日的特徴エスノグラフィックなフィールド調査からの分析 sipec.aoyama.ac.jp/uploads/03/204

 

【食文化】

■#一日一論文 山崎妙子 ワニ料理

 このクッキングるうむの連載は面白くてよく読んでいる。

 この論文のあと、ひさびさに桜木町ぴおシティにもうかの星を食いに行った。モウカザメの心臓。

 ポストレバ刺しとしてとてもうまい。

 

モウカの星。桜木町ぴおシティにて

 論文に出て来るサメ料理のフルコースも食べてみたい

 

 広島北部備北地方の「ワニ(サメ)」料理の食文化の紹介。 サメを食べる文化は全国にあるが多種類のサメを「さしみ」で食べるのはこの地域だけとする。(上のTweet参照)

 このワニ(サメ)のさしみは明治30年代後半から40年代以後であり、地元では「ワニを腹の冷えるほど食って見たい」という表現が残っているとのことである。

 興味深いのは、サメの臭みも、「うまさ」として理解されており、「ワニは隣の家まで臭う位の物が旨かった」又は「鼻が曲がるほど臭うのがええ」とのこと。 ただし、現在のさしみはほとんど匂いはせず、「マグロのトロ」「甘エビ」のようであるという。

 サメはモウカザメのハツを除いて、生食はしたことがなかった。 この論文に出て来るまんさく茶屋は、美味しんぼにも出てきた店だが残念ながら現在は閉業とのこと ただここ以外でも食べられる店はいくつかあるようなので、一度食いに行ってみたい。

 

広島でワニ料理が食べられるお店5選!|広島ママpikabu

 

著者の山崎妙子氏は1934年広島生。 広島女子大学家政学部にて調理科学を研究し、日本調理科学会中国・四国支部などの支部長も務める。 論文に「加工玄米の炊飯に及ぼす加水量の影響」「広島のかき」などがあり、また著書に『牡蠣 : その知識と調理の実際』(柴田書店)がある。

 

■#一日一論文 清水 祥子 おから料理を考える

 山口で食べたおからを使った「きずし」を知りたくて読む。

 以前、豆腐をシャリにした料理を食べてバズったことがあったが、それの一種としておからを使った寿司は気になっていた。

 

togetter.com

 おからを使用した料理に関する小論。 先日、山口で見たおからを使用した「きずし」と同類の食べ物が出ているので紹介。

 この論文ではおから料理として、農文協出版 『日本の食生活全集」から、高知の「鯛のたま蒸し」(鯛におからを詰めた皿鉢料理)や石川の「いかの鉄砲焼き」とならんで愛媛宇和島の「丸ずし」が挙げられている。

 写真を見るに新山口(小郡)で買った「きずし」(だき寿司とも)と同じ形状で、料理法も同じである。(1枚目論文中の写真、2枚目新山口の「きずし」) 瀬戸内にこの 料理は分布しているのではないかと思わせる。山口市内で引き続き調査している友人からも、この形状のきずしがあったと報告があった。

愛媛の丸ずし

新山口の「きずし」

 今回の論文にあった丸ずしや大分の「きらすまめし」なんかは比較的作りやすい料理である。 時間のある時、私も作ってみようと思う

 山口 卯の花きずしのレシピ  

 maff.go.jp/j/keikaku/syok

 大分 きらすまめし  

 maff.go.jp/j/keikaku/syok

 
 筆者の清水祥子氏は長野女子短大(2024年から長野短大に変更)でおから料理を研究していて、その他の論文には「 翻刻「江戸時代料理本集成」にみるおから料理」

などがある。こちらも併せて読みたい。

 

■#一日一論文 鳥居 久雄 食材研究 : 日本の国鳥、雉(キジ)の料理

 毎年、鳥猟につれて行ってくれるBASE CAMPのA-suke (@A_suke_BaseCamp)さんが  

 今年も鳥猟につれて行ってくれた。

 

 キジを分けてくれたので、料理方法を知りたくて読む。

 なお、キジは湯引きのキジ刺し、キジ飯、照り焼き、キジ汁と美味しくいただきました。

 

キジの内臓の塩焼きとキジの湯引き

キジの照り焼き、キジ汁、キジ飯(黄色いのはクチナシで染めた)

 

 友人の鳥猟に同行しキジ肉を分けてもらったので、キジの伝統的な調理方法の参考として読む。柴田書店の『野鳥料理』という和食の料理本をもってるが、鴨料理ばかりで参考にならなかった。

 論文筆者が『「実践技術百科」肉料理とサラダ』に掲載した料理として、「雉玉子クリーム寄せ」、「雉肉煮凝り」など、伝統的な雉肉料理として、「雉鍋」「雉のすき焼き」「雉の刺身」「雉釜飯」「雉そば」「雉丼」。また創作料理として「雉の温泉蒸し わさびソース」「味醂粕漬」などを紹介する。

 雉の刺身(湯引き)は生姜醤油で自分でも再現してみた。「他の肉にはないコクのある旨味とさっぱりとした口あたりのよさにある。そのまろやかな風味は、食鳥の王様といえる」とあるが、個人の印象では、鶏よりさっぱりとしてまろやかな口あたりである。

 一般的な鳥刺しは酢醤油とワサビなどで食すが、キジ肉は醤油(旨味分を強くするため九州の甘い醤油の方が良いかも)と生姜が、コクとの相乗効果であうように感じた

気になったのは、キジ肉の熟成の問題。西洋ではキジ肉は「フザン」と呼び、必ず熟成させることから「フザンタージュ(熟成)」の語源ともなっている。

 日本料理の鳥食では、搬送や贈答の過程の中で、結果的に偶然熟成が進むことはあっても、生肉の熟成を目的とした調理の下準備はされなかったと考えられるが、キジに関しては、羽根などの美しさとともに、熟成がうまく進むと旨さが増すのも、愛賞された理由かもと思っている。

 菅豊氏の『鷹将軍と鶴の味噌汁』の「「美物」(贈答物)の使い回し」に関する論考なども再確認してみよう。

 とりあえず次は肉の熟成も進めつつ、「雉釜飯」か「雉そば」を作ってみたい。吸い物や焼き鳥も

 なお、本論文中「ニワトリよりも雉の方が古くから食べられている」という記載については問題ないが「保護鳥で国鳥でもあるため、捕獲の許可が必要である」とあるが、キジは通常の狩猟鳥獣であり、狩猟法や鳥獣保護法の対象だが、、なにか特別な許可が必要ではないことは、誤解のないよう明記しておく。

 本論文筆者、鳥居久雄氏は名古屋クラウンホテルの総料理長。2007年に愛知の名工を受賞。また名古屋文化短期大学で教授を務める。論文としては「食材研究(2) : 翻車魚(マンボウ)の料理や著書に『「実践技術百科」肉料理とサラダ』がある。また文中出て来る阿部孤柳は鬼平犯科帳の料理指導をした人物。

 

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 以上、2024年1月後半の#一日一論文でした。

 2023年11月から始めて、ちょうど3カ月やったので、すこしtwitterでアンケートでも取ろうかしらん(アンケート結果がどこまで反映されるかは未定です)