酒徒行状記

民俗学と酒など

【2023年12月後半】今月の一日一論文

12月後半の一日一論文をまとめる。

この期間は、かなり食文化関連の論文を中心に取り上げた。

なかでも麻婆豆腐論文がプチバズったのはびっくりした。みんな麻婆豆腐好きねえ。

写真は赤坂の陳麻婆豆腐の麻婆豆腐賦。

 

陳麻婆豆腐の麻婆豆腐賦(全景)

陳麻婆豆腐賦(1)

陳麻婆豆腐賦(2)

陳麻婆豆腐賦(3)
  • 【食文化】【中国料理】
    • 福留 奈美、小磯 華織 日本における麻婆豆腐の伝来と受容-調味料・香辛料によるタイプ分類
    • 中林 広一 失われた麻婆豆腐を求めて
    • 謝春游 食のグローバル化における四川料理の海外展開一日本の「四川飯店」とオーストラリアの「水井坊四川酒楼」の事例を中心にー
    • 浜本篤史 園田茂人 現代中国における日本食伝播の歴史と力学一北京の日本料理店経営者を対象にしたインタビューから-
    • 松本 淳ほか 日本地理学会2018年秋季学術大会シンポジウム報告 「食の人類史からみたモンスーンアジアの風土を読む」
    • 堀越昌子 野間晴雄編(滋賀大学教育学部滋賀の食文化調査研究班) 滋賀の伝統的食文化図録
    • 童 江明,李 幼均,伊藤 寛 中国の醤
  • 【地理学】【民俗学
  • 【生活改善運動】
    • 酒井貴広 戦後高知県における 「生活改善」 の展開と犬神変容に関する研究
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【2023年12月前半】今月の一日一論文

 2023年11月の半ばからはじめた一日一論文。基本平日のみではあるが、1か月続けてやることができた。

 2023年12月前半のまとめ。ひと月分でまとめてようと思ったが、一つの記事があまりに長くなりすぎるので、半月ごとにする。また今回からタグをつけた。

 ここら辺はいろいろ試行錯誤。

立川、慶州苑(今回紹介する論文とはあまり関係ありません)

なおアイキャッチ写真は立川の焼肉屋。慶州苑。今回紹介した論文の<たまラーメン館>の写真が出てこなかったので、かわりに、私が立川で贔屓にしている焼き肉屋を載せる。ここは肉もだけど、タレがものすごい旨いのでおすすめ。

  • 【滋賀関連】
    • 小川都弘 農村工業の展開過程における職人集団の変容と技術拡散-高島扇骨業の場合
    • 谷口 賛  大井隆弘 『伊賀・甲賀における草葺民家の金属板の被覆状況に関する調査報告』
  • 【生活改善運動】
    • 岩本通弥 日本の生活改善運動と民俗学 
    • 岩本通弥[問題提起]生活・日常・世相―変化を捉えるために
  • 【歯科】
  • 【地理学】
    • 平澤 健太郎 ・牛垣 雄矢 立川駅周辺におけるラーメン店の集積の特徴とその背景
  • 【仏教史】
    • 佐々木, 閑〈評論〉ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争 1 (序言)
    • 清水俊史 『ブッダという男-初期仏典を読みとく』
    • 佐々木閑 〈評論〉ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争 2
  • 博物館学
    • 桒原 (くわはら)良輔 , 仲間 信道, 野田 聖 「図鑑 日本のむかで」 — 本書の問題と解決すべき課題 

 

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鉄鍋のジャンの監修者、おやまけいこ(小山惠子)氏の事績について

1.はじめに

 先の記事、第一回酒徒吉風(酔っ払いの舌)杯開催!(<米とサーカス>『鉄鍋のジャン』コラボ料理を喰う) - 酒徒行状記では鉄鍋のジャンのコラボ料理に関する記事を書いたが、この作品の面白さは監修者おやまけいこ(小山惠子)氏の力によるところが大きい。

 ところが、おやまけいこ氏については早くに亡くなってしまったせいか、WEBなどでもあまり情報を拾うことができない。

 今回、Webの断片情報だが、おやま氏について、わかる範囲をまとめて紙碑としたいと思う。

2.おやま氏の略歴について

 おやま氏の略歴については、Webの書き込みのため、信頼度は低いが、鉄鍋のジャンスレで以下の書き込みが確認できる。

 

kuzure.but.jp

 この略歴の出典については詳細は不明だが、下記の画像が出典の元のようである。

小山恵子氏略歴。出典未詳

 

 確度は不明だが、記載内容から、たぶん現時点で分かるおやまけいこ氏の略歴として、文字起こしをするとともに、解説や誤記修正をしながら確認したいと思う。(読みやすいように改行などは筆者が行った)

 

プロフィール&業務実績>

 小山惠子(おやま けいこ)
 Food Coordinator・料理研究家・薬膳調理指導員
 東京出身。共立女子大学文芸学部卒業。在学中より小説家について文章作法を学び、サンケイリビング誌のレポーターとして業界入り。

 卒業後、「今週の日本」、「フォト」、総務庁の「マネージメント&コーディネーション」等、政府広報誌のインタビュアー、座談会の司会者などで活躍、現在に至る。
 その傍ら、中国料理、フランス料理、日本料理等、多方面の料理を勉強。恵比寿中華料理学院では鉄人・陳健一の父、陳健民氏に師事し、師範認定を得る。

 又、天皇陛下の料理番と言われた、故斎藤文次郎氏が校長を勤めた日本司厨師協会のワールドクッキングスクールでフランス料理の師範認定も取得。

 日本料理は「龍雲庵」の後藤紘一郎氏に師事、7年間懐石料理を学ぶ。その他、チーズのシュバリエの資格、北京中医大学薬膳調理指導員の資格も収得。『食文化』を中心とするトータルコーディネーションを目指している。

 現在では自宅で医食同源の家庭でできるおいしくて体に優しい中国料理を教える傍ら食品メーカの食品開発、ビデオパッケージやパンフレットの料理指導などのほか、少年漫画雑誌等で料理漫画の監修・指導も手がける等、多方面にわたり活躍中。

 1995年、女子栄養大学出版『栄養と料理』では、これから業界で期待できる人として紹介される、又1997年1月~6月まで朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に『おやまけいこの医食同源』連載、評判を得る。1999年ギリシャ政府の招待により、現地で1ケ月ギリシャ料理の研修をうける。

 又、化学調味料を使わない中華料理をずっと提唱し続けてもいる。

 料理研究家、Food Coordinatorとしての活動の他、最近では「家庭でできる医食同源」の講演の他、メニュープランニング、商品開発等Food(以下判読不能

<以下注釈>

3.出版物・著作

 朝日新聞のコミュニティ誌「はらっぱ」に「おやまけいこの医食同源」を連載とあるが記事は確認できず…

 このほか雑誌『四季の味』に連載を持っていたようである。

【四季の味 掲載号】  

秋号No.62 (発売日2010年09月07日) 誤差が生み出す味の奥行き 小山惠子

春号No.60 (発売日2010年03月08日) はたして日本のコメは万能か? 小山惠子
冬号No.59 (発売日2009年12月10日) 家庭のスープは具から取る 小山惠子
秋号No.58 (発売日2009年09月07日) 水で軽やかさの演出を 小山惠子
冬号No.55 (発売日2008年12月08日) 中国薬膳で冬暖かに 小山惠子
秋号No.50 (発売日2007年09月17日) 秋を迎えるための中国薬膳 小山惠子
春号No.48 (発売日2007年03月17日) 木の芽どきの中国薬膳ご飯 小山惠子(料理研究家・薬膳調理指導員)
夏号No.45 (発売日2006年06月17日) 夏を乗り切る中華のご飯 小山恵子(料理研究家・薬膳調理指導員)
 
【ジャンへの道】
 現在一番まとまって、おやま氏の文章が読めるのは、『鉄鍋のジャン』のMF文庫版2005年(電子書籍版にも収録)のあとがき記事「ジャンへの道」かもしれない。
 

4.料理会

 このブログによるとツーツー会という料理会を主催していたとのこと。

plaza.rakuten.co.jp

また、勉強会などもおこなっている。

Yabu's Essence - 楽天ブログ (2006年)

 

 このお店のシェフ薮崎友宏氏はおやま氏と交流があったようなので、話を聞きに行くとおやま氏に関する情報が得られると思っている。

tabelog.com

  2015年には吉祥寺のフランス料理教室La Table Douce ラ・ターブル・ドゥースにて薬膳講座を何度か行っている。

【満員御礼!】第七回・小山惠子先生の薬膳講座とシェフ喜八郎のフレンチ薬膳を味わう食事会@Lyla(2015年。このほか第5回の記事もあり)

 

 そのほか 2016年、17年ごろの食時会の記事もウェブ上にあり。

死ぬまでに食べておきたい幻のスイーツ「サンプーチャン」は“皿にも、箸にも、歯にもつかない”不思議食感!? - Togetter(2016年)

 

…ていうかこのツイート見て、「おやまけいこ先生の料理会…何とか参加できないか」と強烈に思ったのだった。なんで頑張って行かなかったんだ、私…

 

 また、インド料理とのコラボも行っている。

薬膳・スパイスの会★中村屋本店「グランナ」で身体元気なインド料理のフルコース! | チョンチョニで けんちゃな☆~韓国旅行ブログ~(2017年)

   

5.没年

正確な没年については不明。2018年の鉄鍋のジャンスレには投稿があるが出典は不明。

鉄鍋のジャンおやまけいこ氏亡くなったのね…

朝日クロスサーチ・毎日歴史館・ヨミダスなども検索するが、訃報などヒットなし。

また、2021年には下記のようなツイートあり。

 

おやま氏と親交のあった方のブログ記事有り。

pinhukuro.exblog.jp

上野「みはし」のあんみつ。
東京駅名店街のリニューアルで、この店に出店してもらった(今でもあるかな)。
ちょっと奥まった場所だったので、思ったより売り上げが伸びなかったけれど、古くからのフアンも多い。

あの頃、食の探求の先達だった小山恵子先生、中華料理漫画「鉄鍋のジャン」の原作者にして、微妙な味も見分けられる味覚の持主の完全主義者、名だたるシェフたちも一目置いていた。
そういうマエストロに特別コースを注文する勉強会で、もう限界というほど食べた後、「甘いものを食べないと、すとんと落ちないのよ」と、夜の上野を「みはし」を訪ねたら、もう閉店。
それでも、諦めないで上野駅構内で別の甘味屋をみつけて、やっと我慢した。

骨だけのような細い体のどこにあれだけ入るのだろうと皆が、やさしく噂した。

「Nさんが、東京駅八重洲側の新しい鉄鋼ビルにディンタイフォンが出たから行こうというので、ご一緒しませんか」と電話があって、久しぶりに一緒に小籠包をいろいろ食べたのが最後になって、知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前じゃきかないな。

 2022年の記事で「知らないうちに亡くなったと聞いたのが、もう三年前」とのことなので、やはり、2018年ごろに亡くなられたのだと思われる。

 

6.『鉄鍋のジャン』の中華料理界への影響

 先ほどの薮崎友宏氏や、<南方中華料理南三>の水岡孝和氏など、ジャンの影響を語るシェフも多い。(以前白酒の会でしりあった中華料理の人もそんな話をしていた)  

 こうした、中華料理のシェフたちに強く影響を与え、また私のように中華料理好きを増やしたのが、おやま氏の一番の功績といえるだろう。

 

plaza.rakuten.co.jp

<南三>水岡 孝和氏インタビュー記事

7.おわりに 

 以上、主にネットでの荒い調査であるが、おやまけいこ(小山惠子)氏の事績について大まかにまとめてみた。

 とりあえず、『四季の味』探して読んでみるのと、<南青山エッセンス>食いに行って話を伺おうと思う。

 また、おやまけいこ先生の謦咳に接せられた方は、ぜひ人となりや事績をお教えくだされば幸いです。

 

 追記:フードコーディネーターについては2000年に刊行された

「食の仕事人」事典-ヒット企画への情報源 単行本 – 2000/8/20

 https://amzn.asia/d/i8kGKJs

 というのがあるようである。こちらも確認したい。

 

また、web.archiveにおやま氏のHPが一部残っているようである。リンクたどれるかしらん。

 おやまけいこクッキングサロン 

https://web.archive.org/web/20070820190136/http://www.mdilab.co.jp/officeo/index.htm

第一回酒徒吉風(酔っ払いの舌)杯開催!(<米とサーカス>『鉄鍋のジャン』コラボ料理を喰う)

はじめに

 私は常日頃から中華料理を愛すことはなはだしいが、これは思春期に読んだ二つの本の影響を受けている。

 一つは、南條竹則先生の『酒仙』および中華料理関係エッセイ。

 もう一つは今からおおよそ30年前(1995年~2000年まで)週刊少年チャンピオンに連載された西条真二/おやまけいこ両先生の『鉄鍋のジャン』である。

 この漫画、中華料理をテーマにした料理バトル漫画であるが、西条真二先生の外連味のある絵と、監修者のおやまけいこ先生の料理知識が、ふんだんに生かされ、

 飲めるラー油・ジビエ・昆虫料理・低温調理(作中では定温調理)・刀削麺ブームなど、その後30年間の中華料理でも最先端な料理やトレンドが預言書のように取り上げられているのである。

 

 で、2023年、ジビエ・昆虫料理で有名な高田馬場の<米とサーカス>と、コラボしてこの鉄鍋のジャンの再現料理イベントをおこなったのである。

 鉄鍋のジャンの大ファンとしては欣喜雀躍…「どこの世界に30年前の料理漫画とコラボする店があるんだよ。サイコーにイかれてんなー」と、さっそくコラボ料理を食べに友人と行ってきた。

 

 以下、漫画に出て来る料理コンテスト大谷日堂杯にあやかって、第一回酒徒吉風(酔っ払いの舌)杯として、料理コンテスト風に食べた記録を書く。

(なお実食感想と採点ははいい加減です。酔っ払いの舌なので、ゆめゆめ皆さまは信用せぬよう願います)

 

collabo-cafe.com

コラボメニュー
  • はじめに
  • 1.冷菜-21世紀の生き残りをかけたダチョウ肉のカルパッチョ仕立て
  • 2.前菜-度肝灼く!アヒルの足の春巻き
  • 3.主菜-山海珍味の壷詰め蒸し煮 仏跳牆(フォチャオチャン)
  • 4.主菜-サメの丸ごと一匹揚げ
  • 5.点心-ワニ肉のコーヒーペースト炒め
  • 6.点心-羊の脳みその茶碗蒸し

 

1.冷菜-21世紀の生き残りをかけたダチョウ肉のカルパッチョ仕立て

 これは「21世紀のサバイバルのための食材としてのダチョウ肉」という題でコンテストを行った回の料理。

 1990年には日本で初めて茨城の石岡にダチョウ農場の計画が持ち上がり*1、1997年ごろには第4の家畜肉としてダチョウ肉が注目されるようになる。*2  

 こうした背景で作中、21世紀のサバイバル肉としてダチョウ肉が題材に選ばれた。*3

 実際にダチョウ農場(たぶん当時、ダチョウ牧場のあった茨城県石岡に行ったのではないかと思う)に取材にいった成果だと思うが、

 ・しめる際にストレスを与えると、血が回ってしまいブヨブヨの肉になってしまう

 ・赤身肉で、ヘルシーだが脂分に欠ける。

 という問題も作中で指摘されている。

 鉄鍋のジャンの主人公秋山醤は、自身の強面な殺気(「なんせ料理は勝負!」の男である。目つきも悪い)のせいで、うまくダチョウが〆られない問題に直面したり、脂身に欠ける肉質への対策として、食用バエのウジを肉に入れることで、サシの代わりにするという奇策を使う。

 

【再現料理】

ダチョウのカルパッチョ

 再現料理の方はさすがに、ウジをサシに入れることはできなかったようで、代わりにカルパッチョミールワームそしてウジ虫(マゴット。オカラを食べさせて育てたイエバエの幼虫)を振り掛けることで対応している。

 

【実食感想】

 ゲンゴロウは初めて食べるが、あまりカルパッチョの食感とは合わない。飾りに近い。

 赤身肉のサシの補填としてマゴットが振り掛けてあるが、むしろミールワームの草っぽい味が邪魔してしまってあまりマゴットの味はわからなかった。

 

【採点】

 89点。

 昆虫の数を増やすより、ダチョウ肉とマゴットのみの方がおいしかったかもしれない。ところで、赤味肉にサシを入れるってインジェクションビーフの発想だ。こっちの方が安全では?

 (そんなことを考えていると「21世紀をサバイバルできねーぜ、カカカ」とジャンにどやされそうだ)

 

 

blog.goo.ne.jp

2.前菜-度肝灼く!アヒルの足の春巻き

 作中、秋山醤達が働く、五番町飯店で新メニューの春巻を考案するコンテストが行われた。

 秋山醤はベトナムライスペーパーににヒントを得て、ライスペーパーを使い、かつコラーゲンたっぷりのアヒルのモミジ(足)を使用した、熱い春巻を考案する。

 醤にとって料理は絶えず勝負なので、審査員の度肝を抜くのが大事である。

 

【再現料理】

 

ヒルの足の春巻き

 HPによると、アヒルの水かき・鶏のトサカ・ミント・香菜などを平湯葉にくるみ、春巻きの皮に巻いて揚げたとのこと。

 原作ではたしかライスペーパーを使用していたはずだが、今回は湯葉皮を使用とのこと。

*1:1990.08.23     日本初の「ダチョウ牧場」 珍鳥集め「鳥類センター」 石岡への建設最有力     読売新聞、茨城版 朝刊   

*2:1998.02.04     低脂肪で栄養価高く欧米で注目 ダチョウを食卓へ 石岡で食肉用に飼育     読売新聞茨城 版    朝刊  

*3:ちなみに同時期、『美味しんぼ』などでもダチョウやエミューの肉が取り上げられていた

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【2023年11月】今月の一日一論文

 今月から、#一日一論文 として、毎日1本、論文の紹介と概要、評価・感想を記してTweetしている。(平日のみ。。土日祝はお休み.調査とかいきたいし)

 自分の研究の備忘とブラッシュアップと、面白い論文を他の人に紹介したいということで始めてみた。

 酒やごはんのtweetと違って、バズったりはしないが、やっていると面白い論文が見つかったり、時々コメントをもらったりするので、励みにもなって面白い。

 ただ、Twitter(X)だけだと、すぐ下に流れてしまって他のtweetに埋もれてしまう。

 なので、月一回、まとまったらはてなブログの方でもTweetの一覧を張り付けて参照に便利なようにしようと思う。

 皆様適宜活用ください

 

  • 鍼灸師とはり灸に係る法制度の変遷 : 医制成立から現在にいたるまで
  • 長野県上田市における食文化の変容
  • 松岡 喜久次 埼玉県小川町~東京都青梅市の寺院にある 石灰岩でつくられた近世の石造物
  • 松岡喜久次 埼玉県立川越女子高等学校の庭石 ―ドロストーンとチャート
  • 小林慶太郎『四日市とんてきとまちづくり: 食によるまちづくり試論』
  • 岡崎 梓織  滋賀県における民俗宗教的聖地の展開
  • 坂口, 正彦 近代日本の「むら社会」─滋賀県各町村の相互扶助とつきあい関係─
  • 鑑定から鑑賞へ 人と書と歴史を探究する 文/増田 孝 第2回 〈写しの文化〉と〈書への憧れ〉
  • 伊能秀明 内藤家文書に見る 「桜田門外ノ変」 異聞 大老井伊直弼の奮闘-狼藉者は井伊様御手にて都合九人ほど取押え
  • 澤登 芳秋 ⽴川でウドを作る:継承財としての農業空間
  • 津村 文彦・黒川 洋一・宇多川 隆・亀田 勝見・杉村 和彦・宇城 輝人酸味を考える―酸っぱいものはカラダに良いのか?―
  • 中国における酢の生産と研究
  • 松永 一彦 GI登録された「鹿児島の壺造り黒酢」 

 

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Wikipediaと百度における「サジー」の記載の違い(各国のWeb百科事典の記載の違いについて)

 「サジー」という果物がある。グミ科の果物で黄色・黄金色の小さい実がつく落葉低木である。

 最近はこれを絞ったジュースが健康にいいということで、豊潤サジーという商品名でTwitter(X)でも広告が流れたりしているので、知っている人も多いかもしれない。

 

 さて、このサジーの日本語版Wikipediaのページを見ていて気づいたのだけど、やたら記載が細かいのである。

 しかもその記述

「植物界で最も栄養価が高い果実の一つであると言われ、ジュースをはじめ各種健康食品、またいわゆるスーパーフードとして、国内外で商業的に流通している」 

「食品以外に医薬品や化粧品としての実用化も進んでおり、その環境保全機能の高さと合わせてサジーは非常に大きな経済的可能性を秘めた植物であると言われている」

というようにその薬効を期待させる書き方がやたらなされている。

 証左はないけど、もしかすると、健康飲料を販売している会社や普及を進める団体などが書き込んでるのかもと思わせるような記述となっている。

 

 筆者はそれを非難するものではないし、当該の記事は多少長すぎるきらいはあるが、出典(サジー協会という普及団体の協会誌が出典なのも多いけど)は一応きちんと示されているし、Webの集合知の使い方の一つとして良いかなと思っている。

 

 さて、では、あまり普及団体の記載が入っていないと思われる、中国版Wikipedia百度百科ではサジーはどんな植物として紹介されているのだろう。

 ちょっと気になって検索をしたので、DeepL頼みの翻訳をして日本語版Wikipediaとの記載の違いを見てみようと思う。*1

 

まずは百度百科のサジー(沙棘)の概要から

 サジー(Hippophae rhamnoides L.)は、ヒッポファエ属の落葉低木の果実である。

高さは1~2.5メートルで、トゲが多く、がっしりとしていて、末端または側方に伸びる。

 新梢は茶色がかった緑色で、古い枝は灰黒色でざらざらしている。ツボミは大きく、黄金色または錆色である。

 花は葉より先に開き、雌雄異株。 開花は4~5月、果実は9~10月に熟す。

 サジーは中国華北、西北、西南などに分布し、標高800~3600メートルの温帯地域の日当たりの良い山頂、谷間、乾燥した河床や山の斜面、礫質または砂質土壌、あるいは黄土に生育することが多い。

 その特性として、乾燥に強く、砂に強く、塩分を含んだ土地でも生き残ることができるため、土壌や水の保全に広く利用されている。中国北西部では、砂漠緑化のためにサジーが大量に植えられている。

 サジーは中国では悠久の薬用の歴史を有している。伝説によると、チンギス・ハーンは軍隊を率いて遠征に出かけたが、当時、環境条件の下で、彼は病気や怪我をした馬をサジーの林に置き去りにするよう命じた。その後、再びその場所を通りかかったところ、置き去りにされた馬が死んでいないことを発見し、それ以来、チンギス・ハーンはサジーを「長生天」から与えられた霊丹妙薬として、「食欲を増進し、脾臓を強化し、脾臓の健康を増進する」と名付けた。 それ以来、チンギス・ハーンはシーバックソーンを「長寿の万能薬」とみなし、「開胃健脾長寿果実」、「聖実」と名づけた。

 サジーの根、茎、葉、花、果実、種子は薬として利用でき、特に果実は栄養分と生物学的活性物質が豊富で、ビタミンが多く含まれ、"ビタミンCの王様 "の美称がつけられている。

 現代の医学研究では、サジーには疲労回復、記憶力強化、老化防止、体力強化、免疫力向上、心臓血管や脳血管を柔らかくする効果がある。(百度百科)

 

 最後に薬効を謳うのは日本語Wikipediaと同じ健康食品としての可能性だが、中国における分布域やジンギスカンの伝説を引いているのは日本語版にない情報である。

 

 さて、百度百科の本文は

1 形態学的特徴
    植物の外観
    顕微鏡的特徴
    化学的特徴
 2 生息地
 3 生育習性

 4 栽培技術
    増殖技術
    圃場管理
    収穫と貯蔵
 5 害虫駆除
 6 サブカテゴリー

 7 主要価値
    治療的価値
    美容的価値
    エコロジーと緑化
    経済的価値

8 植物文化

9 学術セミナー
10 食品の栄養成分

百度百科)

と項目だてられている。

これを日本語Wikipediaの記事の構成

形態・生態
分布
含有成分

果実
種子
果皮

利用

環境保全
食用・飲用
化粧品
薬用
安全性
歴史

(日本語版wikipedia

と較べると、実際に生産している国らしく、百度百科の方は 栽培技術が細かく章立てされて記載されているのが特徴的である。

 また、分布や品種など両者に共通する項目もあるが、日本語版Wikipedia

ユーラシア原産のサジーは、おおむね北緯27度から69度、西経7度から東経122度の間の温帯、すなわち中国、モンゴル、ロシア、中央アジア、ヨーロッパ北部(イギリス、フランス、デンマーク、オランダ、ドイツ、ポーランドフィンランドスウェーデンノルウェー等)に広く自生する。丘陵や斜面、谷間、河川敷、海岸沿い、島など様々な場所で見られ、他の低木や樹木の種との混合木立でも見られる。前述の特性から、標高1200-2000メートルの高山や砂漠、寒暖の差が激しい地域にも自生できる。

日本国内には自生しておらず、主に北海道で試験的に栽培されている程度である。その他、カナダ、アメリカ、イタリア、ボリビア、チリ、韓国など多くの国々で栽培が行われている[28]。2013年時点で、サジーの総植生面積は世界で約300万ヘクタール、このうち中国が約250万ヘクタール(うち野生種100万ヘクタール、栽培種150万ヘクタール)、モンゴルが約2万ヘクタール、インドが約1.2万ha、パキスタンが約3,000ヘクタールとなっている[29]。中国では毎年約1万ヘクタール分が果実の生産と環境改善のために植えられているほか[29]、インドでは気候変動対策を主な目的として、サジーをヒマラヤ地区に2020年までに100万ヘクタール植林する国家プロジェクトが2010年に発表されている。 (日本語版wikipedia

と、世界における分布を記すのに対し、百度百科は 

ジーは、華北、西北、西南(新疆、河北、内モンゴル、山西、陝西、甘粛、青海、四川西部)に分布し、日当たりのよい山頂、谷、乾燥した河床や斜面、礫質または砂質土壌、黄土、標高800~3600mの温帯に生育することが多い。(百度百科)

と、中国国内の分布のみを記している。

ここらへん、中国のネットユーザが世界よりも国内向きなっているのを示しているとみるのはうがちすぎであろうか?

 

その他、百度でおもしろいのは「8 植物文化」の項目である。

日本語版wikipediaでは伝説にはほとんど触れられていないが、先の「チンギスハーンとサジー」の伝説とともに

 サジーは海外では古くから知られている。 古代ギリシャ時代、都市国家間の戦争は絶えなかった。 あるとき、スパルタ軍が戦いに勝利したが、その戦いで60頭以上の軍馬が重傷を負った。 スパルタ兵は自分たちの馬を殺すのは忍びなく、愛馬が死んでいくのを見たくなかったので、馬を森に置いた。

 しばらくして、瀕死の馬たちが死なずに、みな太ってたくましくなり、明るい色の毛並みが光っているように見えたので、彼らは驚いた。 スパルタ人は非常に不思議に感じ、やがて、馬の一団がサジーの森に入れられたこと、この馬たちはサジーの葉を食べるために飢え、サジーの実を食べるために渇き、サジーを生活の糧としていることを突き止めた。 それ以来、聡明な古代ギリシャ人はサジーの栄養価と癒しの価値を知り、サジーに「馬を輝かせる木」という意味のロマンチックなラテン語名 "Hippohgae rhamnoides L "を与え、これがサジーラテン語学名の由来となった。(百度百科)

ラテン語の由来まで書いている。

また、日本語版wikipediaの方は、

1991年のソビエト連邦崩壊旧ソ連国内の研究機関が持つ情報およびサジーが海外に流出したことが、20世紀末以降世界的にサジーの商業栽培が広まる一つのきっかけとなった(日本語版wikipedia

として、サジーの普及にソ連の影響があることが触れられているが、百度百科では、旧ソ連との関係性は触れられていない。

 

以上、サジーの記載について両者を比較すると

日本語版wikipediaのサジーの項は

 ・サジーの薬効を中心とした書き方となっている

 ・利用方法やサジーによる環境保全、あるいは利用方法を研究してきた団体や協会の歴史の記述が中心

 

一方、百度百科の方は

 ・百科事典的に、伝説なども網羅した書き方

 ・中国国内での栽培法の記述分量が多い

 ・一方で国外におけるサジーについては記述がほとんどない

という違いを見ることができる。

 

 Wikipediaの各言語による記載の濃淡は、少し検索に慣れた人や研究者にはすでに周知のことだが、このように国ごとの「Wikipedia的Web百科事典」の記載の違いについてはあまり、触れている人は少ないかと思うので、サジーを例として、ここに記載する

 私は知らないが、ロシアのYandexなどにもしWikipedia的百科事典があれば、きっとこのサジーの情報も異なるものと思われる。

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 ところで、なんで急にサジーを検索しようと思ったかというと、とあるところからTwitterでうちのサジーを宣伝してくれませんかとDMが来たからだった。

 「おお、これが<案件>というやつか!」というやつでちょっと気になったけども、「あまり宣伝目的でTwitterを使いたくないな」というのと、いろいろ手続きがめんどくさそうで結局なにもせずにしてしまった。(この記事もアフィリエイトはまったくありません)

 一回も飲んでないが、一度くらいは飲んでみようかしらん。

*1:なお、いずれも最終アクセスは2023年11月9日である

プリゴジンのホットドッグ―エフゲニー・プリコジンのカバーストーリー「料理人」をめぐって

 世界最強の料理人が死んだ。

 エフゲニー・プリゴジンが暗殺されたのである。

はじめに

 エフゲニー・プリゴジン。別名「プーチンの料理人」。

 1980年代、殺人や詐欺などで服役したあと後、1990年にホットドッグチェーン店を開き、食料品チェーン「コントラスト」の共同経営やスペクトラムCJSC(ЗАО«Спектр»)の最高責任者としてカジノなどの事業に参加。

 1995年、サンクトペテルブルグで高級レストラン“The Old Customs House” (Staraya Tamozhnya。旧税関)、船上レストラン“New Island.”などを経営し、また同時期、当時サンクトペテルブルグ市長だったウラジーミル・プーチンの知己を得て、政府や軍の食糧などに食料品などを納入するケータリング会社「コンコルド」を設立。

 そして2014年民間軍事会社「ワグネル・グループ」を設立。ロシア軍の秘密部隊として、ウクライナ紛争に介入。ドネツクおよびルガンスク人民共和国の分離主義勢力を支援。また2016年にはアメリカ大統領選挙で秘密工作に携わる。

 2022年のロシア・ウクライナ戦争では、ワグネル・グループはロシア軍の主力部隊のとして最前線で活動。2023年、ロシア・ウクライナ戦争におけるロシア軍の戦況悪化は、プーチンを取り巻くセルゲイ・ショイグ国防大臣やワレリー・ゲラシモフ参謀総長といった君側の奸のせいであるとして、ワグネルの反乱を起こす。

 ワグネルの反乱では民衆の支持を得てロストフ・ナ・ドヌを占領。モスクワまで200kmの地点まで、部隊を侵攻させるが、急遽進軍停止。乱はわずか一日で終わることとなる。

 その後、反乱の停戦の仲介を行った、ルカシェンコ大統領のもとベラルーシなどに潜伏。しかし乱の2か月後、プライベートジェットが墜落。墜落の原因は8月24日現在不明だが、地対空ミサイルで撃墜されたとも言われ、暗殺の可能性が高いとされる。

 これが現在Wikipediaなどに記載されている彼の生涯であるが、実は「料理人」というのは彼の経歴を隠すカバーストーリであり、本業はサンクトペテルブルクの闇カジノ経営だったとされている。

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 2014年のロシア・ウクライナ紛争・2022年ロシア・ウクライナ戦争とその中で起きたワグネルの乱については、歴史家が詳細な記述をしてくれるだろうが、私は後世の歴史家があまり注目しないであろう、彼のカバースト―リ―である「料理人」に着目し、彼が経営するレストランはどうであったか、そして彼がなぜ「料理人」というストーリーを作ったのかメモとして記したいと思う。

1.ホットドッグチェーン店

 Wikipediaなどによると彼の料理人としての最初の経歴は、1990年義父(または継父)とサンクトベテルブルグで立ち上げたホットドッグチェーン店あるいは屋台に始まる。

 このチェーン店がどのようなものであったか、店名などもわからない。

 ロシアにおけるホットドッグは、ニキータ・フルシチョフが1959年の渡米からアイデアを持ちかえったことことに始まるとされるが、当時ソ連で食べられていたのは現在,一般的に日本人がイメージするホットドッグ(細長いパンを縦に切り、ソーセージを挟んだもの)とは異なり、“サシースカ・フ・テステ”(ソーセージ入りパン)として、ソーセージにパイ生地またはピザ生地を巻き付けて焼いた、ソーセージパンに近いものであった。

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 上記記事によると

1990年代になって、企業の私有化と小さなテイクアウトショップの登場により、ようやくホットドッグは一般的となった

 とあり、プリコジンのチェーン店でも、現在イメージするようなホットドッグではなく、ソーセージパンに近いホットドッグが提供されていたのではないかと思われる。

 ロシアでは現在、Stardogs(Стардогс)というホットドッグのチェーン店があり、このチェーンも1993年創業となっている。

 プリコジンのこのホットドッグチェーン店が現在どうなっているかはわからないが、現在、サンクトベテルブルグにはそれらしいチェーンのホットドッグ屋の情報がないこと見ると廃業になったものと思われる。

 

 なお、このホットドッグ経営はカバ―ストーリーの中で、ブリコジンが唯一料理を実際に行った可能性のある部分である

 というのも、このホットドッグ経営について、全くの嘘の可能性もあるが、「ホットドッグの屋台で財を成す」という、かなり荒唐無稽な話をカバーストーリーとして作るとは思えず、*1実際に財を成したのは闇カジノであっても、表向きは多少はプリコジン自身もホットドッグを「調理」した可能性もあるのではないかと思われる。

2.高級レストラン“The Old Customs House” (Staraya Tamozhnya。旧税関) 

旧税関と名付けられたStaraya Tamozhnyaは、サンクトベテルブルグのワシリエフスキー島に作られた高級レストランである。
 旧税関という店名は皇帝の命令で、洪水から守るため税関物品を保管していた建物にレストランがあることによる。
 

*1:嘘ならもう少し信憑性のありそうな話を作る。また完全に架空の店で、しかも繁盛したという、カバーストーリーを作ると、地元住民から「そんなホットドッグ屋聞いたことはない」と嘘が見抜かれる可能性も出てくる。

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